昭和47年(1972年)9月29日、日本国と中華人民共和国の間で、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」が調印され、国交が開始された。
一般的に「日中国交正常化」と呼ばれている出来事だ。
「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」に調印し、握手をする田中角栄総理と周恩来(しゅう おんらい)国務院総理、出典:バカでも小学生でも猿でもわかるわかりやすいニュースサイト
中華人民共和国は、昭和24年(1949年)10月1日に建国した。
まだ歴史が浅い国だ。
それ以前、中華人民共和国の領土には、中華民国という国があった。だだし、統治していた領土は多少異なる。
昭和21年(1946年)、支那大陸は国民党と共産党の内戦状態に突入する。
国民党というのは中華民国のことで、共産党は後の中華人民共和国のことである。
この戦いに共産党が勝利し、中華人民共和国が建国されることとなる。
戦いに敗れた国民党は、現在の台湾に逃げていく。台湾は昭和20年(1945年)まで日本の一部だったが、日本の敗戦により、戦勝国である中華民国が統治するようになっていた。
ちなみに、日本は中華人民共和国と戦ったことはない。
大東亜戦争で戦ったのは中華民国で、日清戦争で戦ったのは「清(しん)」である。
このように、支那大陸では、国が出来たり滅んだり、領土が変わったりという事がよく起きている。
日本が中華人民共和国と国交を開始したキッカケは、当時の米国の行動だ。
昭和47年(1972年)2月21日、ニクソンは米国大統領として始めて中国首脳の毛沢東と握手をし、約20年間にわたる敵視政策を転換させることを約束する。ただし、米国と中華人民共和国が国交を開始するのは、昭和54年(1979年)と、まだ先になる。
9月29日には、日本は中華人民共和国と国交を開始する。
その後、西ドイツやベルギー、オーストリアなども次々と国交を樹立していく。英国とオランダも、それまでの代理大使級から大使級の外交関係に昇格させる。
同時期に、中華人民共和国は、連合国(一般に「国連」と言われる組織)の常任理事国となる。
しかし、昭和46年(1971年)10月、連合国は中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国(台湾)を追放してしまう。
中華人民共和国が力をつけ始めたのは、日本と国交を開始して以降だ。
日本の金と技術により、国を発展させていった。
昭和55年(1980年)からは、経済特区を設置し、外国の資本を呼び込むことに成功し、更に国を発展させていくことになる。
歴史に「もしも」はないが、ニクソン米国大統領が中華人民共和国を訪れなかったら、日本は国交を結んでいなかったかもしれないし、中華人民共和国がここまで力をつけることはなかっただろう。
現在のトランブ米国大統領は、中華人民共和国の力を弱めようとしている。
皮肉なものである。