阪神・淡路大震災から今日で25年となりました。亡くなられた六千四百余名の人々を悼み、深い哀悼の意を表します。
震災直後のトポス東山店前(神戸市)、出典:Imgur: The magic of the Internet
阪神・淡路大震災とは、平成7(1995)年)1月17日午前5時46分に発生した「平成7年兵庫県南部地震」による災害名である。
震源地は兵庫県淡路島北部(北緯34度36分、東経135度02分)、深さ16km。地震の大きさを示すマグニチュードは7・3。淡路島北部から神戸方面に続く活断層のずれにより発生した。
震度7は神戸市須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川付近等のほぼ帯状の地域や、宝塚市の一部及び淡路島の東北部の北淡町、一宮町、津名町の一部の地域。
消防庁によると、平成7年兵庫県南部地震による人的被害は、死者6434名、行方不明者3名、負傷者4万3792名。
住家被害は全壊が約10万5000棟、半壊が約14万4000棟にものぼった。
断水は約123万戸。停電は約260万戸。ガス供給停止は大阪ガス(株)管内で約86万戸。
情報元:阪神・淡路大震災について(確定報) | 総務省消防庁
阪神・淡路大震災は大東亜戦争後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。
村山富市・総理大臣(当時)の当日の対応は、時系列で以下のとおりだった。
- 05時46分:地震発生
- 08時30分:官邸入り
- 08時45分:首相談話発表。被害状況の把握に全力を挙げ、万全の対策を講じるという内容
- 09時20分:官邸では日程通り月例経済閣僚会議
- 10時00分:「非常災害対策本部」の設置を決定
- 10時以降:自衛隊が出動
村山総理は地震発生3日後、衆議院本会議の代表質問にたった新進党の二階俊博議員(現在は自民党幹事長)に、危機管理の無さと情報収集の遅れを指摘された。
村山氏は「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われます」と答えた。
村山氏は日本社会党の議員である。同党は社会民主党(社民党)の前身。現在の社民党以上の左派政党で、自衛隊違憲、日米安保破棄、原発反対だった。
しかし、村山氏は総理大臣就任直後の国会演説で、党の了承を得ずにこれらを認めた(後の党大会で追認)。
災害対応が遅れたのは村山氏だけの責任ではない。
貝原俊民・兵庫県知事(当時)も災害派遣要請をすぐに行わなかった。同知事は自衛隊に否定的な知事だった。更に、兵庫県庁も情報収集の正確さを欠いていた。
当時は「自衛隊は戦争の元」と考えていた人が多かった。自衛隊は今以上に何もできない状態だった。自衛隊が災害対応できるようなったのは、阪神・淡路大震災があったからである。しかし,,,
その代償は余りにも大きかった。