素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2681年7月5日

今日は2009年ウイグル騒乱が起きた日だ。

平成21年(2009年)7月5日、支那新疆ウイグル自治区ウルムチ市で大規模な暴動が発生した。

支那政府によると、死者は184人で、うち漢人が137人。

一方、世界ウイグル会議によると、ウイグル人の死者は最大で3,000人に上る可能性があるという。

 

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平成21年(2009年)7月5日午後8時50分頃のウルムチ市内の様子、原典:YouTube

 

平成21年(2009年)6月25~26日、広東省韶関市(しょうかん-し)の玩具工場で、漢人によるウイグル人襲撃が行なわた。ウイグル人2人が殺害され、118人が重軽傷を負った。

漢人側の刑事処分が曖昧にされたことから、ウイグル人の間で不満が高まり、2009年ウイグル騒乱の発端になったとされる。

 

7月5日、韶関市の玩具工場での事件の公正な刑事処分を求め、ウイグル人大学生がウルムチ市内で抗議デモを始めた。

デモは当初は小規模なものだったが、3,000人ほどにまで膨れ上がった。

デモを鎮圧しようとして治安部隊(警察)がデモ隊に発砲し、デモ参加者との間で衝突が発生した。中国政府によると、警察官は少なくとも12人を射殺したという。

 

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ウルムチ市のイサムッディン市長は、暴動の広がりを以下のように説明した。

7月5日午後8時15分頃、一部のデモ参加者が、ガードレールをひっくり返したり、3台のバスを破壊し始めた。

8時半頃には、解放南路や竜泉街周辺にも暴動は拡大。警察の車輌が放火されたり、通行人が襲撃され始めた。

9時半には、3人の死亡、26人(警官6人を含む)の負傷が確認された。

武装警察部隊が発砲し、大量にウイグル人を殺害。午後10時には市内の主要幹線道路と商業地区を確保した。

その後、警察は小さなチームを組み、全市を徹底して巡回。7月7日には、ウルムチ市内は正常化した。

 

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2009年ウイグル騒乱に関しては、支那政府とウイグル人側(世界ウイグル会議など)で、言っていることが全く違う。

支那政府は、ウイグル人が暴動を起こし、漢人が被害者だったとしている。

一方、ウイグル人側は「警察や軍隊がウイグル人を無差別に殺害した」と主張している。暴動が起きた日の深夜に、1万人近くのウイグル人が姿を消したとの見解もある。

 

ウイグル騒乱の前年には、チベット自治区ラサ市でも騒乱が起きている。この時の死者は数10人~200人とみられる。

2年ほど前には、香港でも大規模なデモが起きている。

 

2009年ウイグル騒乱の真実はわからない。

ただ、支那共産党支那政府)による統治が、多くの住民にとって幸せでないことは確かだ。