平成21年9月16日、鳩山由紀夫氏が第93代内閣総理大臣に就任し、鳩山由紀夫内閣が誕生した。
同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で、民主党は歴史的な大勝を収めた。
民主党は308議席(選挙前115議席)を獲得し、第1党となった。
また、比例区の得票も2984万4799票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。
一方、自民党は119議席(選挙前300議席)と大きく議席を減らした。
異常とも言える「麻生バッシング」と「民主党上げ」がその理由だ。
総理大臣就任の記者会見をする鳩山由紀夫総理(平成21年9月16日)、出典:首相官邸
鳩山由紀夫内閣の支持率は、発足当初の平成21年9月16-17日の共同通信の世論調査では、72%にまで達した。
この高支持率は、「何かが変わるぞ!」という国民の期待からものだった。
しかし、この期待は裏切られる。
官僚にコントロールされる政治を嫌い「政治主導」を打ち出したが、根回しをまったくしない政治は、多くの混乱を招いた。
鳩山の政治は、一言で言うと、ヒラメキ政治だ。
民主党内での意見調整もなく、いきなり自らの構想を示すものが多かった。このため、民主党内からも不満が噴出した。
外交においても同様であった。
更に、金銭スキャンダルも発覚し、鳩山由紀夫内閣は瓦解した。
鳩山由紀夫内閣の支持率はみるみる下がり、平成22年5月29日-30日の共同通信の世論調査では、19.1%にまで低下した。
鳩山由紀夫内閣は、その政策が余りにも現実離れしていた。
このため、ほどんど実務はできなかった。
平成22年6月16日、第174回国会は閉会した。
会期中に鳩山由紀夫内閣が提出した法案63本のうち、成立じたのは35本だった。法案の成立率は戦後最低の55.6%だった。
鳩山由紀夫内閣は多くの失態をした。
上げればキリがないが、個人的に印象に残っているのは、「普天間(ふてんま)基地移設問題」だ。
普天間基地移設問題とは、沖縄県宜野湾市(ぎのわんし)にある米軍海兵隊の普天間飛行場及びその付随施設を、何処にどのような条件で移設するかという問題である。
普天間飛行場は危険な飛行場となってしまったため、安全性の面から移設が必要とされていた。
普天間飛行場に移設先は、すでに辺野古のキャンプ・シュワブと決まっていた。
キャンプ・シュワブとは、沖縄県名護市と国頭郡宜野座村(くにがみぐん ぎのざそん)にまたがる在日米軍海兵隊の基地である。この一部の拡張し、普天間飛行場の機能を移設する予定だった。
つまり、沖縄から米軍基地が一つなくなるはずだった。
普天飛行場の移設がキャンプ・シュワブに決ったのは、名護市しか受け入れてもいいという自治体がなかったからだ。
この移設のために、命をかけた人も、職をとした人も何人もいる。
この話が具体的なものとなったのは、橋本龍太郎総理の時だ。
橋本龍太郎総理は普天間基地移設のため、当時の大田昌秀(おおた まさひ)沖縄知事と、20数回にわたり会談している。
内閣官房長官だった梶山静六(かじやま せいろく)は、「沖縄が俺の死に場所である」とまで言っている。
小渕恵三総理(おぶち けいぞう)は、正に命をかけて移設問題に取り組んだ。沖縄サミットも実現させた。
普天間飛行場の移設は、実現1歩手前まできていた。
平成21年9月16日の発足時、鳩山由紀夫内閣は、普天間飛行場の移設先を、「最低でも県外」としていた。
しかし、すぐに移設問題の重要さを認識しはじめる。
翌9月17日には、北澤俊美(きたざわ としみ)防衛大臣が、早く県外移設の困難さを指摘する。
10月7日、鳩山由紀夫総理は、在日米軍再編のマニフェストを、「時間によって変化する可能性は否定しない」「マニフェストを絶対に変えてはいけないという、そんな石頭で首相はやっていない」と述べた。普天間飛行場の移設を合意を容認する可能性を示した。
岡田克也外務大臣も当初県外移設を模索していた。しかし、米国との交渉を重ねるにつれ、次第に移設が困難であることを理解し、10月23日には「事実上、県外というのは選択肢として考えられない状況である」と言明した。
11月13日、日米首脳会談が行われた。
鳩山総理はオバマ大統領に対し、" Trust me."(私を信じて)と言い、2010年12月末までに移設問題を解決することを約束した。
同日、鳩山総理は、来日したオバマ米大統領を日本に残し、アジア太平洋経済協力会議首脳会議出席のためシンガポールへ向かった。 来日中の外国首脳を残し、総理が外遊に出発するのは極めて異例なことだ。
12月18日、普天間基地問題について、与党3党(民主党・社民党・国民新党)が協議し、移設先を当分決めないことで合意する。
平成22年3月31日、鳩山総理は谷垣禎一(たにがき さだかず)自民党総裁との党首討論で、「五月の末までに必ず政府の考え方を、政府の方針というものを沖縄を初め日本の国民の皆様方にも理解を求め、さらにはアメリカの皆様方にも理解を求めたものをつくる」と発言し、5月末までの決着を強調した。そして、「その腹案を持ち合わせている」とした発言したが、その内容は明かさなかった。
(これも達成できず、辞任に追い込まれた)
鳩山は総理辞任後の平成24年3月12日、『日経ビジネスONLINE』からの取材に対し、(党首討論の際)「何も考えていないんじゃないか」と言われるから、『腹案がある』と言った」と、「腹案」がその場凌ぎであったと疑わせる告白をしている。
4月13日、核安全保障サミットで、鳩山総理はオバマ大統領と10分間ほどの非公式会談を行った。会談が非公式となったのは、米国側が拒否したためだった。
オバマ大統領は、普天間基地移設問題を混迷させている鳩山総理に対し、「(貴方は)信頼出来るのか?」と強い不信感を表明した。
米国の大統領が日本の総理大臣に対して、このような発言をするのは初めてだ。
米国の態度に驚いた日本政府は、会談内容を文書に残さないようにした。
5月4日、鳩山総理は沖縄を訪問して仲井眞(なかいま ひろかず)沖縄知事と会談した。日米同盟の関係の中で抑止力を維持する必要があるとして、「(選挙前に掲げた)すべてを県外にというのは現実問題として難しい」として事実上の県外全面移設の断念を明らかにした。
同日、地元住民との対話集会が行われた。鳩山総理は「(沖縄の基地負担の軽減について)オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」と発言し、決着が遅れている責任は米国にあるとした。
5月12日、鳩山由紀夫内閣は米国政府に対して、初めて具体的な移設案を提示した。
辺野古周辺への移設を中心とし、キャンプ・シュワブ沿岸地域にくい打ち方式(QIP:Quick Installation Platform)で滑走路を建設するというものだ。
米国側は、くい打ち桟橋式が環境に良いとは限らない事、桟橋はテロによる攻撃に脆弱である事、地元住民との合意が難しい事、などに問題があるとして否定的な見解を示した。
5月23日、鳩山総理は沖縄を訪問し、仲井眞(なかいま ひろかず)沖縄知事した。
結局、自公政権時代に合意した辺野古移設で米国政府と合意文書を交わす方針を説明した。
鳩山総理の掲げた「最低でも県外」という公約は達成されなかった。
鳩山由紀夫内閣は、地元住民や現場の自衛官や米軍兵士、米国政府などを振り回しただけだった。
この一連の行動は、普天間基地移設問題を更に難しいものにしてしまった。
普天間基地移設問題は、鳩山由紀夫内閣を非常によく表しているものだった。
実は他の政策でも、同じような失態を犯している。
民主党政権が発足する前の平成21年9月16日、当時の民主党代表だった鳩山由紀夫は、「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから」と発言している。
日本国民はこの時点で、「コイツおかしいのでは?」と気づくべきだった。
この件に関するマスコミの報道は少なかったが。
愛国心があると感じられない人間を総理大臣にしてはいけない。
もちろん、国会議員にしてもいけない。
あなたは、鳩山由紀夫内閣についてどう思う?
日本人限定の調査です。
— 素人が新聞記事書いてみた (@np_ama) September 15, 2018
鳩山由紀夫内閣は、日本国民にとって、良い内閣だったと思いますか?