素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2678年10月14日

今日は「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(ねんちゅうさいじつしゅくじつのきゅうかびをさだむ)」が公布・施行された日だ。

近代的な「休日法」が施行され、国民の祝祭日(祝日と祭日)が定められた。

 

年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムでは、始めて「祭日」が定められた。

祭日とは、宗教儀礼上重要な祭祀(さいし)を行う日のことだ。現在、祭日はない。神道における祭祀は、伊勢神宮と属する諸々の神社で行われ、天下泰平、五穀豊穣、皇室の安泰、万民の平安が祈られる。

祝日とは、建国や独立などのその国の歴史的な出来事に由来したり、功績のあった人物を称えて制定された記念日のことであり、祝日とは異なる。

 

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明治6年1873年)10月14日、年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムは、太政官布告(だじょうかんふこく)として公布・即日施行された。この時の祝祭日は8日だった。

同法律は明治11年1878年)6月5日に改正され、祝祭日が2日増え10日になった。

更に、明治12年(1879年)7月5日にも改正され、『神嘗祭(かんなめさい)』の日を、9月17日から10月17日に変更している。9月17日では、神嘗祭で使用する稲穂の生育が不十分であったためだ。

その後、大正元年(1912年)9月4日、「休日ニ関スル件」の公布・即日施行と同時に廃止された。

年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムの廃止後、祝祭日は少しだけ変わる。しかし、昭和23年(1948年)7月20日に、国民の祝日に関する法律(通称「祝日法」)が施行されるまで、祭日は存在する。

 

余談になるが。

太政官布告とは、太政官によって公布された明治時代初期の法令の形式である。

太政官とは、明治維新が開始された、慶応4年又は明治元年(1868年)に設置された最高行政機関である。明治18年(1885年)、内閣制度が発足したことにより廃止された。

 

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年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムが施行された、明治6年1873年)10月14日に定められた祝祭日は、以下の8日だ。

元始祭げんしさい)、1月3日

・新年宴会(しんねんえんかい)、1月5日

孝明天皇(こうめいてんのうさい)、1月30日

紀元節(きげんせつ)、2月11日

神武天皇祭(じんむてんのうさい)、4月3日

神嘗祭(かんなめさい)、9月17日→10月17日

天長節(てんちょうせつ)、11月3日

新嘗祭(にいなめさい)、11月23日

 

明治11年1878年)6月5日に追加された祝祭日が、以下の2日だ。

・春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春分

・秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋分

 

名前の最後に『祭』の付く日が祭日である。明治時代なら、元始祭孝明天皇祭、神武天皇祭、神嘗祭新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭の7日が祭日だった。

その他のものが祝日にあたる。

これらの祝祭日は呼び名を変えて残っている?と思われるものもある。 

しかし、元始祭、新年宴会、神武天皇祭、神嘗祭の4日は、完全に無くなってしまった。

 

祭日が無くなったのは、昭和23年(1948年)7月20日祝日法が施行された時だ。

そして、祭日の廃止は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向によるものだった。

これに関しては、人それぞれに意見が異なるだろう。今のままの方が良いという人もいるだろうし、祭日の復活を望む人もいるだろう。

ただ、日本人なら、この事実だけは覚えおいて頂きたいものである。