今日は、ARPANET(アーパネット)によるコンピューター同士の通信に成功した日だ。
これが発展してインターネットとなった。
米国の国防総省が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関で、この計画は行われた。
ARPANETとは、"Advanced Research Projects Agency NETwork"の略で、日本語にすると「高等研究計画局ネットワーク」である。
世界で初めて運用された「パケット交換方式」のコンピュータネットワークである。
パケット交換方式(パケット通信)とは、データをパケットとよばれる単位に分割し送受信を行う通信方式である。
様々な利点がある。
最大の利点は、複数の端末で伝送路や交換設備の共有が可能ということである。
具体的な例としては、契約している回線は1回線でも、複数の端末(パソコンやスマホなど)で同時にインターインターネットに接続することが可能となる。
作成:素人が新聞記事書いてみた
インターが普及する前は、回線交換方式という通信方法が主流だった。
多くは「アナログ回線」というサービスで、契約する際には電話加入権が必要だった。
中高年の方なら、黒電話をイメージするとわかりやすいだろう。
電話をしている時には、回線がその電話により占有されるため、他の通信機器は通信を行うことはできない。
現在、通信の大部分はパケット交換方式である。
自宅や会社でインターネットに接続する場合、NTT西日本・東日本の回線サービス「フレッツ光」か「フレッツADSL」で接続している方が多い。そして、複数の端末(パソコンやスマホなど)をインターネットに接続している方もいると思う。これができるのは、パケット交換方式のおかげである。
あと、日本の携帯電話は、現在すべてパケット交換方式である。
昭和49年(1974年)のARPANETの構成、参照:Wikipedia
昭和44年(1969年)10月29日午後10時30分、カリフォルニア大学ロサンゼルス校からスタンォード研究所に「login:」というテキストが送られたが、「lo」まで受信したところでシステムがクラッシュしてしまう。
その約1時間後、システムは復旧し、当初のメッセージ全文の送受信に成功する。
これが人類初のパケット交換方式による通信である。
ARPANETは拡大していき、接続するノード(コンピュータ)も増えていった。
同年12月5日には、上記2カ所に、カリフォルニア大学サンタバーバラ校とユタ大学の計算機科学科を加えた4ノード相互のネットワークができる。
昭和45年(1970年)には、ARPANETは米国の東海岸までつながる。
昭和48年(1973年)には、無線通信により海を超え、ノルウェーやロンドンともつながる。
昭和56年(1981年)には、日本で初めて東北大学がARPANETの接続に参加する。
昭和57年(1982年)には、現在のインターネット通信方式の約束事である「TCP/IPプロトコル」が完成し、翌昭和58年(1983年)にARPANETに導入される。
この通信網のことを「インターネット」と呼ぶようになる。ただし、この言葉は曖昧であるが。
昭和58年(1983年)には、ARPANETの軍事関係部分を分離する。
昭和60年(1985年)からは、NSFNetが拡大していき、ARPANETは縮小していく。
NSFNetとは、"National Science Foundation Network"の略で、日本語にすると「全米科学財団ネットワーク」である。
平成元年(1990年)2月28日、ARPANETは退役する。
その後、平成6年(1995年)には、マイクロソフトのOS「Windows 95」が発売され、インターネットは爆発的に世界中に拡大していく。
平成23年(2011年)8月21日に行われた「フジテレビ抗議デモ」、出典:Wikipedia
歴史に「もし」はないが、インターネットが普及してなかったら、日本はどうなっていただろうか?
平成23年(2011年)から数回にわって行われた「フジテレビ抗議デモ」は起きていない。
第二次安倍内閣も誕生しなかっただろう。
旧民主党の勢力は、間違いなく今より遥かに強かっただろう。
考えると恐ろしい。
昭和44年10月29日、日本に神風が吹いた。