素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年1月5日

今日は新年宴会しんねんえんかいだ。

 

新年宴会とは、毎年1月5日に、宮中で行われていた新年の到来を祝う宴のことである。天皇が皇族や親任官しんにんかん(大臣、高級官僚、軍人など)、外国の公大使などを宮中に招き、新年の祝賀として盛大に宴会が行われていた。

新年宴会は、明治7年(1874年)から昭和23年(1948年)まで、祝祭日(祝日)だった。以下の2つの法律に定められている。

年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ムねんちゅうさいじつしゅくじつのきゅうかびをさだむ明治6年1873年)10月14日に公布・即日施行、大正元年(1912年)9月4日に「休日ニ関スル件」の公布・即日施行と同時に廃止

②休日ニ関スル件:大正元年(1912年)9月4日に公布・即日施行、昭和23年(1948年)7月20日に「国民の祝日に関する法律」の施行と同時に廃止

 

なお、この間(明治6年~昭和23年)、元日(1月1日)は法律上祝祭日ではなかった。しかし、慣習的に休みをとっている場合は多かった。

 

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新年祝賀の儀、出典:宮内庁

 

新年宴会しんねんえんかいは、「元日節会がんじつのせちえ」に由来する。

 

元日節会とは、 新年宴会以前の毎年元日に、宮中で行われていた宴である。朝廷でも重要な儀式の一つとされていた。

元日節会は、奈良時代初期の霊亀2年(716年)、元正天皇げんしょうてんのうの治世にはすでに行われていたという記録がある。応仁元年(1467年)に起こった「応仁の乱」により30年ほど中断されたが、明治になっても継続して行われていた。

明治になると、元日には宮中で様々な行事が行われるようになったため、明治5年(1872年)より1月5日に変更された。そして、外国の要人も招くことが多くなってきた。このため、名前を「新年宴会」に変更した。元日に行われなくなったし、節会せちえでは日本人のみで祝うということになってしまうためである。

 

新年宴会は昭和23年(1948年)まで行われたいた。しかし、同年7月20日に「国民の祝日に関する法律」が施行され、廃止されてしまう。

代わりに、「新年祝賀の儀」が元日に行われるようになる。新年祝賀の儀は、新年宴会と同じようなものなのだが、軍人(自衛隊)は厚遇されなくなった。

 

現在の祝日は、「国民の祝日に関する法律」(昭和23年7月20日公布・即日施行)によって定められている。この法律にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向が大きく反映している。

この法律が施行されるまで、日本の祝祭日には「祝日」と「祭日」があった。祭日とは、宗教儀礼上重要な祭祀を行う日のことであるが、「国民の祝日に関する法律」に祭日はない。

東亜戦争以前の祝祭日の多くが、廃止されたり、名前を変えられたりしてしまった。

新年宴会も廃止された祝日の一つである。