今日は「
居昌虐殺事件とは、朝鮮戦争中の昭和26年(1951年)2月9日から2月11日にかけ、韓国の慶尚南道居昌郡にある
韓国軍は、共産主義パルチザン(正規軍に入っていない遊撃兵)を殲滅するための
昭和23年(1948年)8月15日、韓国(正式名「大韓民国」)が建国する。
同年9月9日、北朝鮮(正式名「朝鮮民主主義人民共和国」)が建国する。
昭和25年(1950年)6月25日、朝鮮半島の主権を巡り、韓国と北朝鮮の間で「朝鮮戦争」が勃発する。韓国側を支援したのは米国など、北朝鮮側を支援したのはソ連や支那などだ。昭和28年(1953年)7月27日に休戦となったが、戦争自体は今も続いている。
米国国防総省によると、朝鮮戦争での米軍の戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人。戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられている。
そして、朝鮮戦争では多くの虐殺が行われた。
「
韓国陸軍第11師団長の
その内容は「必ず確保すべき戦略拠点は壁を築くように堅固に確保し、やむを得ず放棄する地域は人員と物資を清掃し、敵が留まることができないよう野原にする」というものである。
韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は、韓国
この一連の虐殺は「
昭和26年(1951年)2月9日~11日、「
同じく韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は、韓国
- 2月9日未明、
居昌群 で民家78世帯に放火し、住民を虐殺する。 - 10日、苽亭里、中楡里、大峴里、臥龍里の全民家を焼き払う。住民を連行し、隊列に遅れた老人は連行中に射殺、女子ども100名余を大峴里担凉渓谷で虐殺、死体は小枝をかぶせて油をかけて焼却する。
- 11日朝、残った住民を珀珊渓谷に集め、機関銃などで射殺する。遺体は小枝をかけて焼却する。待機させていた住民12名に死亡確認をさせ、うち11名を射殺、最後に残った1名が命乞いをすると「絶対に口外するな」と言い、その場を去る。
しかし、国防長官の指示により、韓国軍は事件現場を出入禁止とし、隠ぺい工作を行う。更に、韓国軍は味方の兵士に共産軍の軍服を着せ、赤旗を持たせて山中に潜伏させる。そして、調査団に対して発泡、調査の妨害をする。
もちろん、すぐにバレてしまうが。
韓国軍は朝鮮戦争で多くの虐殺を行っている。
ベトナム戦争でも、多くの虐殺や強姦などの戦争犯罪を行っている。
日本人は、これらの事実を知るべきである。