素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年6月8日

今日は日本教職員組合(略称「日教組」)が結成した日だ。

 

日教組とは、全国の教員・学校職員による労働組合の連合体である。

教職員労働組合としては日本最大。日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、教育インターナショナル(EI)に加盟している。

平成30年10月1日現在、組合員数230,294人。加入率は22.6%で、新規加入率は19%。

情報元:平成30年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について:文部科学省

現在、立憲民主党又は社会民主党社民党)を支持しており、両党に組織内候補を輩出している。

 

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日教組結成大会、奈良県橿原神宮(かしはらじんぐう)、出典:Wikipedia

 

昭和20年(1945年)12月、日本を占領していた連合国軍最高司令官総司令部(通称「GHQ」)は、学校教育の改革及び「民主化の一環」として教員組合の結成を指令する。

同月、全日本教員組合が結成。(翌年より「全日本教員組合協議会」に名称変更)

昭和21年(1946年)、教員組合全国同盟が結成。

昭和22年(1947年)6月8日、全日本教員組合協議会と教員組合全国同盟に大学専門学校教職員組合協議会を加え、日教組が結成した。結成大会は、奈良県高市郡(現在の橿原市)の橿原神宮外苑で開かれた。

 

昭和25年(1950年)4月8日、多くの高等学校の組合が日教組を脱退、全日本高等学校教職員組合(現在の日本高等学校教職員組合)を設立する。日教組が小・中学校重視の活動を続けてきたためだ。

昭和49年(1974年)の春闘では、本部委員長をはじめ21人が逮捕、12都道府県13組合999か所が捜索を受ける。この事件を前後し、日教組内での対立が表面化する。

平成元年(1989年)1989年11月、共産党支持グループが脱退。彼らは新組織・全日本教職員組合(全教)を平成3年(1991年)に結成する。

平成2年(1990年)から翌年にかけ、各大学教職員組合の脱退が相次ぐ。 

これらの脱退・独立により、日教組や日本の教職員労働組合は、現在に近い状態となった。

 

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原典:日教組加入率・新採加入率の推移 | 文部科学省

 

文部科学省(以前は文部省)は、昭和33年(1958年)より、公立小・中・高等学校における日教組の加入率を調査・発表している。

・昭和33年(1958年):86.3%
・昭和40年(1965年):63.3%
・昭和55年(1985年):52.0%
・平成元年(1989年):46.7%
・平成15年(2003年):30.4%
・平成30年(2018年):22.6%

調査開始以来、加入率は右肩下がりである。特に昭和30年代中盤と平成になった直後に大きく低下している。

 

ここからは筆者の個人的な見解になるが。

日教組に入る教師が減った最大の原因は、彼らのやっている事が世間の常識とズレているからだと思う。

日教組は「日の丸」の掲揚、「君が代」の斉唱は行わないと主張している。理由は憲法が保障する思想・良心の自由に反するからだという。教師が国旗・国歌に敬意を払わない国などある?

平成18年(2006年)に教育基本法が改正された時も、「国を愛する心」や「日本の伝統尊重」が盛り込まれたとして大反対。署名運動を展開し、200万筆を集めた。更に、労働組合・市民団体と共にデモを繰り返し、国会前での座り込みなども行った。

日教組の政治活動は正当だ!」という主張にも違和感を感じる。公務員は法律により、政治的行為を制限されているからだ。

本来、教師というのは子供たちの手本となるものだ。しかし、日教組からはそれが感じられない。自己中心的でダブル・スタンダードという印象を受ける。

 

日教組は子供たちに必要な組織なのだろうか?

筆者は不要だと思う。