素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年6月10日

今日はハガチー事件が起きた日だ。

当時のマスコミがこの名称で報道していたため、こう呼ばれるようになった。

 

ハガチー事件とは、安保闘争中の昭和35年(1960年)6月10日、東京国際空港でジェイムズ・ハガティ米大統領報道官一行がデモ隊に包囲され、米海兵隊のヘリに救助された事件である。

ドワイト・デビッド・アイゼンハワー米大統領の訪日は中止となった。

 

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安保反対デモ隊で車が立ち往生、海兵隊ヘリに乗り換えるハガティ氏(中央の人物)、出典:Wikipedia

 

昭和33年(1958年)頃より、岸信介内閣と米国のドワイト・デビッド・アイゼンハワー内閣により、昭和26年(1951年)に日米間で締結された安保条約の改定交渉が行われていた。

昭和35年(1960年)1月19日、米国・ワシントンDCで、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」が締結される。現在の日米同盟の根幹を成す条約である。一般的に「日米安全保障条約」という場合にはこちらを指す。

条約の締結前から、日本国内では反対運動が起きていた。俗に言う「安保闘争」である。

 

岸信介総理は帰国し、新条約発効のため国会承認の手続きに入る。

左派政党は、日本が戦争に巻き込まれることなどを理由に大反対する。日本社会党(現在の社民党)と日本共産党は、組織・支持団体を挙げて全力動員をし、反対運動の高揚をはかる。

 

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衆議院で条約が承認された直後、出典:Wikipedia

 

昭和35年(1960年) 5月19日、衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決される。

20日衆議院本会議でも採決が行われ、自民党などの賛成多数で衆議院を通過する。この時点で、条約の発効が可能となった。条約は衆議院に先に提出した場合には、参議院で否決されても発行することができる。

 

これを機に、安保闘争は激しさを更に増していった。 デモ隊が国会の周囲を連日取り囲んだ。

そして、次第に反岸信介内閣・反米国の色合いを濃くしていった。

ハガチー事件は、安保闘争の最も激しい時に起きた事件である。 

更にこの後、安保闘争は死亡者もだしてしまう。

 

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日比谷公園から国会に向かうデモ隊(昭和35年6月15日)、出典:Wikipedia

 

日米同盟は日本に最も大きな影響を与えた政策の一つである。 

大東亜戦争終結以降、日本が戦争をしなかった最大の理由は日米同盟があったからである。

米国の軍事力は強大だ。全世界対米国で戦っても、米国が勝つと言われている。そんな国とケンカをしたい国はない。

 

これは筆者個人の見解だが、「日米同盟の最大のメリットは米国と戦争をすることが100%ない」ことだと思っている。もちろん、抑止力が向上するのも大きなメリットではある。

デメリットもある。日本独自の外交が制限されたり、米軍が日本に駐留したり...

それでも、メリットの方が遥かに大きい。戦争ほど国益を害することはないのだから。

 

もしハガティ米大統領報道官が殺害でもされていたら、どうなっていただろうか?

現在の日米同盟はあっただろうか?

ふと、そんなことを考えてしまった。