今日は日本共産党の結党97周年だ。
大正11年(1922年)7月15日、日本共産党は結党した。
コミンテルンとは、昭和18年(1943年)まで存続した各国共産主義政党の国際統一組織である。ソ連を中心とした組織で、世界中に支部があった。
目的は各国の内部を混乱させ、共産革命を引き起し、権力を掌握することである。
つまり、日本共産党は日本解体のために作られた組織である。
日本共産党は結党当初、コミンテルンから多額の資金の援助を受け、指示を受けながら活動していた。
コミンテルンからの指示で有名なのは、昭和7年(1932年)5月に決定した「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」、通称「32年テーゼ」である。
天皇制の転覆、武装蜂起による警察の打倒、共産党軍の設立、国家権力の奪取など。つまり、クーデターの実行である。
当時の日本共産党が頻繁に行っていた活動は、反戦運動を装った「防衛妨害活動」である。この点は今も全く変わっていない。
ちなみに、「天皇制」という言葉を最初に使ったのは共産党だと言われている。「32年テーゼ」でも登場している。本来は左翼用語である。
昭和7年(1932年)には、資金集めのために銀行強盗まで行っている。これが日本で初の銀行強盗と言われている。通称「赤色ギャング事件」である。
このため、戦前は違法とされていた。
不破哲三・日本共産党幹部会委員長(左)、 原典:YouTube
日本の敗戦により、日本共産党は合法化された。
昭和21年(1946年)の第22回総選挙では5議席を獲得し、初めて国会に議席を得た。
当時の日本共産党は日本国憲法に反対していた。野坂参三氏は国会で反対の演説まで行っている。
日本共産党は戦後も、中核自衛隊や山村工作隊、練馬事件、白鳥事件など各地で殺人事件や騒乱事件を引き起こした。
このため、昭和27年(1952年)に破壊活動防止法、通称「破防法」が制定された。
日本共産党は現在も、破防法に基づく公安調査庁の監視対象団体である。
情報元:共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解 | 公安調査庁
現在、共産党員の平均年齢は70歳ほどである。
彼らの多くは、もう革命を起こせるとは思っていない。
ただ、日本共産党の歴史を知ると...
次世代の日本人のためにも、我々の世代で消滅させておく必要がある。