今日は敦化事件(とんかじけん)が起きた日だ。
敦化事件とは、昭和20年8月27日、満洲国吉林省敦化(現在の吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)で、ソ連軍に集団強姦され続けた日満パルプ製造(王子製紙)敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件である。
28人の婦女子が青酸カリにより自殺を図り、23人が死亡、5人は生き残った。
「日満パルプ事件」と呼ばれることもある。
終戦当時、敦化市内には約2000人の関東軍守備隊の駐屯地があった。
昭和20年(1945年)8月17日、敦化郊外で陣地を築いていた敦化守備隊は終戦を知る。
19日、ソ連軍が敦化に進駐してきたため敦化守備隊は降伏、武装解除した。
22日、ソ連軍は日満パルプ製造敦化工場に進駐。1時間以内に社宅の一角を引き渡すよう要求した。その時、女性2人を社宅から拉致。一人は数時間後にボロボロになり帰ってきたが、もう一人は強姦された後に行方不明となった。
25日、ソ連軍は男性全員を10キロほど離れた飛行場の近くの湿地に連行した。女性は独身寮に集められ、約170人が15~6人ずつに分けられ監禁されることとなった。
同日夜、ソ連兵約300人が女性が監禁されている独身寮に移ってきた。
26日明け方、酒に酔ったソ連兵たちが短機関銃を乱射しながら、女性たちが監禁されている各部屋に乱入した。そして、気に入った女性を連れて行き、次々と強姦を始めた。このため、女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたが、ソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなかった。
27日になっても、ソ連兵による強姦は続いていた。
女性28人が集められていた部屋では、皆で自決することを決心をしていた。そして、隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図った。23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。
他の部屋では、ソ連兵に強姦される直前、剃刀で自殺を図った女性もいた。
27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告する。各部屋には見張りが付けられ、女性たちは外を見ることを禁じられた。その間に、遺体はどこかへ運び去られた。
責任を問われることを恐れたソ連軍将校の命令により、これ以上の強姦・暴行は禁止された。
延辺朝鮮族自治州中の敦化市の位置(赤色)、出典:Wikipedia
ソ連軍が現地女性を強姦することは有名だ。
ドイツのベルリンが陥落する際には、周辺国も合わせると、少なく見積もっても200万人以上の現地女性がソ連兵により強姦されている。
日本軍が健在だったら、このような悲劇は起きなかった。
軍事力がない国は惨めだ。国民の生命と財産を守ることができない。
残念ながら...これが現実。