素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年11月10日

今日は「朝鮮人ノ氏名ニ関スル件」が発布された日だ。

いわゆる「創氏改名」であるが、「創氏」と「改名」は全く別の制度である。

 

当時、本籍地を朝鮮に有する日本臣民(以下「朝鮮人」という)に「氏」はなかった。「姓」はあったが。

氏は家族名であり、夫婦同一のものである。

姓は同族名(一族名)である。朝鮮において、女性は結婚後にも夫や子供の「姓」には加われなかった。夫と妻は別の「姓」であり、「姓」のない女性もたくさんいた。

 

「創氏」とは、新たに「氏」を創設したものである。「姓」は廃止されなかった。今でもある。

「改名」とは、簡単に姓名を変更できるようにした制度のことである。

 

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昭和14年(1939年)11月10日付け『朝鮮総督府官報』第1面、出典:Wikipedia

 

昭和14年(1939年)11月10日 、朝鮮総督府朝鮮人に対して、制令十九号(創氏)と二十号(改名)を公布した。

 

制令十九号が「創氏」で、すべての朝鮮人に新たに「氏」(家族名)を創設させた。今まであった「氏」は存続された。ただし、法制度上の「本名」は新しい「氏名」の方となった。

創氏には「設定創氏」と「法定創氏」があった。

「設定創氏」とは、昭和15年(1940年)2月より8月の設定期間中に、窓口の自治体役場に届出された氏である。

「法定創氏」とは、上記期間内に自発的に届出をしなかった残余の者につき、従来の「姓」をそのまま「氏」としたものである。こちらは少数だった。

 

 制令二十号が「改名」で、従来は姓名の変更に裁判所の許可が必要だったが、それを届出のみで変更できるようしたのもである。実施期間の定めは無かったため、設定創氏の届出期間経過後でも、容易に変更できた。

「改名許可願書」という書類を提出し、1人50銭の手数料が必要だった。

 

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創氏の法院公告、出典:Wikipedia

 

朝鮮総督府が「創氏」及び「改名」に踏み切ったのは、朝鮮人からの要望が多かったからである。当時は朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。

「創氏」では約8割の朝鮮人が「設定創氏」を選択肢し、伊藤や井上など日本風の氏を届け出る者が大半だった。

 

実はこの「創氏」が、韓国や日本の左翼により、「日本が朝鮮人の名前を奪った」というプロパガンダに使われている。

日本は彼らが使っていた「姓」を奪っていないし、「姓」は現在も使われている。

「氏」は当時に創設されたが、昭和21年(1946年)に廃止となっている。

 

「創氏」及び「改名」に関しては、当時、反対意見も多かった。

日本は昔からお人好し過ぎる。