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「太平洋戰爭史」を掲載した当時の朝日新聞
太平洋戰爭史とは、昭和20(1945)年12月8日より10回にわたり、連合国司令部記述として全国の新聞紙上に連載された記事である。
「―奉天事件より『ミゾウリ』(戦艦ミズーリ)停戰協定調印まで―」という副題がついる。記事は同期間、
ちなみに、当時の新聞の「横書き」は右から左へと書かれていた。今と逆。
太平洋戰爭史は昭和21(1946)年4月に、高山書院から本としても出版された。資料提供は聯合軍総司令部民間情報教育局、翻訳は中屋健弌。
副題は「―奉天事件より無条件降伏まで―」に換えられてある。
訳者のことばとして当局の厳密なる校閲があったとの記述があるが、検閲により「大東亜戦争」という言葉は「太平洋戦争」に書き換えられてある。
太平洋戰爭史(高山書院)、出典:グランパの青春日記
昭和20(1945)年8月14日、「大東亜戦争終結ノ
翌15日正午、昭和天皇の「玉音放送」がラジオで放送され、国民は戦争に負けたことを知る。
9月2日、東京湾内に停泊した米海軍の戦艦ミズーリ上で、降伏文書の調印式が行われた。6年にわたって続いた第二次世界大戦は終結した。
9月中に、米国やソ連、中華民国など11カ国により日本を占領統治するための政策決定機関「極東委員会 (FEC)」 が設置される。ここの政策を執行したのが有名なGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)である。
GHQによる日本の占領統治は昭和27(1952)年4月28日まで続く。
この間、GHQは日本を連合国、特に米国に都合のいい国へと変えていった。
「
「大東亜戦争」は「太平洋戦争」に、「支那」は「中国」と呼ぶように変えられてしまった。小学校の科目「修身」は廃止となり、「教育勅語」を教えることも禁止となった。その他にも、国民の生活に直結するところまで、様々なものが変えられてしまった。
太平洋戰爭史は米国の側からみた歴史認識である。だから、基本的に「日本=悪」という前提で書かれている。ここに書かれている歴史認識は、現在の日本の左翼の歴史認識とほぼ同じであり、「東京裁判史観」と呼ばれることもある。
日本の左翼は反日であると同時に反米である。しかし、米国に都合の良い歴史認識を信じてしまっている。米国の手のひらで踊らされているのだ。