素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年12月24日

今日は1回目の生田(いくた)警察署襲撃事件が起きた日だ。同署は連続的に2回襲撃されている。

共に、在日朝鮮人暴徒による犯行だった。当時韓国はまだ無かったため、朝鮮半島の人は全て朝鮮人だった。

 

生田警察署は兵庫県神戸市中央区に現在も存在している。もちろん、建物は建て替えてあるが。

 

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現在の生田警察署、原典:Wikipedia

 

1回目の襲撃事件は、昭和20(1945)年12月24日。

 

午後9時頃、50名を超える朝鮮人暴徒が「岡山の刑事を出せ!」と叫びながら署内に侵入してきた。

襲撃以前、岡山市内で7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査員が神戸市まできていた。この事件に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることとなった。

 

朝鮮人暴徒は署員に拳銃や日本刀、匕首(ひしゅ)を突きつけて軟禁した。そして、岡山県警の捜査員を探し始めた。

捜査員らは脱出に成功した。しかし、暴徒によって署内の電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。

その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊(当時日本は連合国軍の占領下)によって暴動は鎮圧された。

 

兵庫県警察史 昭和編』には書かれていないが、朝日新聞(大阪版)によると、朝鮮人暴徒は仲間 2~3名を奪還したという。

 

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昭和20年12月27日付朝日新聞(大阪版)

 

2回目の襲撃事件は、翌昭和21(1946)年1月9日。

三宮ガード下で賭博団(国籍未詳)が検挙されたことを受け、30~40名の在日朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入した。

この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3名を検挙した。

 

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GHQより日本の警察に配給された拳銃「 S&W M1917」、出典:Wikipedia

 

日本の警察は大東亜戦争終結して数年経過するまで、ほとんど武装したことが無かった。警視庁ですら、昭和21(1946)年3月の時点で、警察官25人に1挺(ちょう)も拳銃を保有していなかった。

それでも、大東亜戦争終結までは大日本帝国陸軍があったため、治安は保たれていた。

 

しかし、終戦と共に帝国陸軍が解体されると、国内の治安は悪化した。軍隊がいなくなれば、治安が悪化するのは世界の常識である。

生田警察署襲撃事件のように、警察署が襲撃される事件が相次いだ。そして、大部分の襲撃事件には在日朝鮮人が関わっていた。

日本の警察が拳銃を所有するようになったのは、暴徒から自らの命を守るためである。

 

昭和26(1951)年には、ほぼ全ての警察官へ拳銃の支給が完了した。しばらくしたら、警察署襲撃事件はほぼ無くなった。

治安を守るためには武力が必要なのだ。