内閣総理大臣当時の池田勇人、原典:Nationaal Archief
所得倍増計画とは、昭和35(1960)年12月27日に第2次池田内閣が閣議決定し、実行された長期経済政策である。
立案者は経済学者の下村治。
当時の総理大臣、池田勇人(いけだ はやと)は「10年間で国民所得を2倍にする!」と宣言した。
所得倍増計画は大成功した。GDPは約4年で倍に、国民一人当たりの所得は約7年で倍になった。
日本は経済大国となった。
日本のGDP(国民総生産)の推移
・昭和35(1960)年: 15兆9400億円
・昭和40(1965)年: 32兆7400億円
・昭和45(1970)年: 73兆 600億円
・昭和50(1965)年:147兆7600億円
情報元:内閣府
所得倍増計画の重点項目は以下の5点。
②中小企業の生産力を上げ、企業間格差をなくす
③国内で開発が遅れている地域の道路・港・住宅・下水などを整備し、地域の産業を振興する
④経済合理性にもとづいて、各地域の産業のあり方やそれに対する投資の仕方を再検討する
⑤輸出を拡大して外貨収入を増やすとともに、各国と経済協力をする
核となった具体的な政策は、東海道新幹線の開通と首都高の建設である。
これにより重化学工業地帯、いわゆる「太平洋ベルト」が生まれ、科学技術も飛躍的に向上した。
あまり知られていないが、所得倍増計画には安全保障政策という側面もある。
当時、国内の失業率は低下し、労働者の給料は年々上がっていた。
共産主義や社会主義実現を実現させるために活動していた左翼の大半は、活動をやめ、労働者となり、建設現場などで働くようになっていった。
所得倍増計画の成功により、日本は共産主義の脅威から抜けることができたのだ。
所得倍増計画は大東亜戦争終結後の日本において、大きな分岐点となった政策だと筆者を思う。