今日は金嬉老事件が起きた日だ。
在日韓国人二世の金嬉老(きんきろう)当時39歳が2人を射殺し、人質をとって温泉旅館に籠城した事件である。
同事件は次第に、民族差別の告発として報道されるようになっていった。
母国の韓国でも「差別と戦った民族の英雄」として祭り上げられた。
人質をとって「ふじみや旅館」に籠城する金嬉老、出典:追悼の森
昭和43(1968)年2月20日、金嬉老は静岡市清水区のクラブ「みんくす」で、暴力団・柳川組の組員2人(未成年1人を含む)にライフルを乱射して殺害。止めていた乗用車で逃亡した。
金嬉老は手形のトラブルが原因で、暴力団から借金返済を求められていた。当日は返済期限で、殺害された暴力団員2人はその取り立てをしていた。犯行直前には口論となっていた。
翌21日、金嬉老は同県榛原郡川根本町にある寸又峡温泉の「ふじみや旅館」で、経営者と宿泊客ら推定13人を人質にとって籠城した(人質の人数は間違いの可能性あり)。
猟銃とダイナマイトで武装しての犯行だった。
金嬉老は自ら警察に居場所を通報。警察が民族差別について謝罪することを人質解放の条件とした。
金嬉老のいう警察官の差別発言とは「朝鮮人は日本へ来てろくな事をしない」というもの。
更に、「日本人と在日朝鮮人がケンカをした際、警察官は日本人の行為は不問にし、朝鮮人だけを逮捕した」とも。
旅館には多くの報道陣が詰め掛けた。金嬉老は何度も記者会見を開き、これまで受けた差別を訴えた。
籠城の様子はテレビやラジオで中継された。
各テレビ局のワイドショーは、人質の安否や被害者家族の意向などお構いなしに、スタジオから「ふじみや旅館」に生電話を入れた。
謝罪以外の要求をほとんどしなかったこともあり、事件は民族差別の告発として報道されるようになっていった。
2月24日、金嬉老は記者団に紛れ込んだ静岡県警察の捜査員らによって取り押さえられ、逮捕された。
裁判では無期懲役となった。
平成11年、韓国に強制送還し二度と日本に入国しないことなどを条件に、70歳で仮釈放された。
平成22年、釜山市の病院で死去した。享年82。
金嬉老は、昭和18(1943)年に窃盗など逮捕され、終戦まで相愛少年保護院で過ごした。
昭和21(1946)年にも窃盗・横領罪で服役。
その後当事件を起こすまでの約20年間、窃盗や詐欺、強盗などの犯罪を繰り返した。刑務所を出たり入ったりするような生活だった。
左派マスコミは金嬉老に同情的である。
筆者は何とも言えない違和感を感じる。