大正10年(1921年)7月23日、上海の党員の自宅に12人(13人の説あり)が集まり、第1回党大会が開催され、結成された。
結成時の党員は57人というのが定説。
支那共産党は、国際共産主義組織「コミンテルン」の主導下にあった。
当時の支那大陸には中華民国という国があり、ここを統治していたのが支那国民党だった。
昭和2年(1927年)4月12日に発生した上海クーデター以降、支那共産党と支那国民党は敵対することになる。支那共産党は壊滅寸前まで追い込まれる。
昭和12年(1937年)に支那事変が起き、中華民国(支那国民党)と日本の戦いが始まる。支那国民党と支那共産党は休戦状態となる。
ちなみに、支那事変のきっかけとなった盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、支那共産党により仕組まれたものと言われている。
昭和20年(1945年)8月、中華民国(支那国民党)と日本の戦いが終わった。
支那国民党は日本との戦いで、大きく戦力が削られていた。一方、支那共産党は日本とは戦わず、ソ連からの支援により、戦力を強大化させていた。
両者の戦力は同等になっていた。
その結果、支那共産党が勝利。昭和24年(1949年)10月1日、中華人民共和国が建国した。
支那国民党は台湾へ逃げていった。
中華人民共和国の建国宣言を行なう毛沢東、出典:Wikipedia
中華人民共和国の建国後も、支那共産党にはピンチがあった。大躍進政策、文化大革命、天安門事件...
天安門事件のときには、日本は彼らの力になってあげた。
今度こそ、日本は選択を間違えてはいけない。
支那共産党は人類史上、最も多くの人間を殺した組織なのだから。