今日は「303高地の虐殺」が起きた日だ。
昭和25年(1950年)8月17日、北朝鮮軍は韓国慶尚北道漆谷郡倭館邑、通称「303高地」で、米軍捕虜を虐殺した。
捕虜の多くは手を後ろで縛られたまま、機関銃の銃弾を浴び絶命した。
死亡者41人、負傷者4~5人と言われている。なお、目撃者が少ないため、この数字は正しくないかもしれない。
ただ確実に言えることは、戦時国際法違反の戦争犯罪ということである。
北朝鮮軍に虐殺された米国陸軍兵士の遺体、原典:Korean War Atrocities
昭和25年(1950年)6月25日、北朝鮮は事実上の国境線と化していた38度線を越え、韓国に侵略を開始した。朝鮮戦争の勃発である。
この戦争に米国は韓国側として参戦した。
8月15日、米国陸軍第1騎兵師団第5騎兵連隊第2大隊の迫撃砲小隊のひとつが、北朝鮮軍に捉えられてしまった。
迫撃砲小隊を率いていた中尉は、兵員数でも火力でも圧倒的に上回る敵の出現に、戦わず降伏。同小隊の兵士たちは捕虜となった。
北朝鮮軍は「おとなしくしていれば、ソウルの捕虜収容所に送られることになるだろう」と捕虜たちに告げていた。
8月17日、303高地にいた北朝鮮軍に対し、連合国(国連)軍が空襲を行った。
北朝鮮軍士官は部下に捕虜の射殺を命じた。北朝鮮兵たちは、雨裂(うれつ)の中でしゃがみ込んでいた、米軍捕虜たちを射撃した。
後に捕らえられた北朝鮮兵の証言では、50人の監視兵の全員もしくは大部分が虐殺に加わったいう。
連合国軍の空襲などにより、北朝鮮軍には甚大な被害が発生した。同軍は混乱のうちに、303高地から撤退していった。
米軍はわずかに生き残った捕虜を救出した。
米軍により救出された「303高地の虐殺」の生存者2人、出典:Wikipedia
米国は共産主義の防波堤となっていた日本を、自らの手で弱体化させた。
結果、朝鮮戦争が勃発した。
米国の歴史をみると、間違った選択をすることが多々ある。
「303高地の虐殺」のような虐殺事件は、朝鮮半島や支那大陸では何度も発生している。
通州事件や葛根廟事件(かっこんびょうじけん)、通化事件など、多くの日本人虐殺事件が起きている。
現在、多くの日本企業が韓国や支那に進出している。
日本企業経営者のうち、これらの事実を知っている人間がどれだけいるか...
旧朝鮮半島出身労働者問題(なぜかマスコミは「徴用工」という)も、起きるして起きたものだと筆者は思う。