今日は、ダイアナ元英国王太子妃が交通事故で死去した日だ。
平成9年(1997年)8月31日、彼女が乗っていた車は、追跡してきたマスコミ関係者(主にパパラッチ)の車をまこうとし、事故を起こした。
36歳の若さだった。
昭和36年(1961年)7月1日、ダイアナ元英国王太子妃は、オールトラップ子爵エドワード・ジョン・スペンサーとその夫人フランセスの三女として出まれた。
「ダイアナ・フランセス」と名付けられる。
昭和52年(1977年)、将来の夫となるチャールズ王太子と初めて出会った。この時、王太子はダイアナの姉セーラと交際していた。
2人に特別な感情はなかったという。
昭和54年(1979年)、ダイアナとチャールズ王太子は再会。翌年から交際が始まった。
マスコミは2人の関係をつきとめ、昼夜問わずダイアナのところへ押し寄せてくるようになった。当時勤務していた幼稚園にまで、マスコミは押しかけた。
彼女に私生活は無くなった。
英国議会も問題視し、「ダイアナ・スペンサー嬢に対するマスコミの扱いを遺憾に思う」とする批判動議を決議した。
しかし、マスコミの態度は変わらなかった。
結婚式でのダイアナとチャールズ王太子、出典:Time Tested Beauty Tips * Audrey Hepburn Forever *
昭和56年(1981年)7月29日、ダイアナはチャールズ王太子と結婚した。
ウィリアム王子とヘンリー王子の2子をもうけるも、やがて王太子との関係は冷却化していった。
平成4年(1992年)12月に別居生活に入り、平成8年(1996年)8月に離婚が成立した。
平成9年(1997年)8月30日、ダイアナは恋人のドディ・アルファイドと、パリの高級ホテル「オテル・リッツ・パリ」にいた。
この情報と聞きつけ、マスコミ関係者が同ホテル外に集まってきた。ダイアナらは囮の車を何台か出した。
そして、翌31日0時20分頃、ホテル裏口から車に乗り出発した。
この車をマスコミ関係者が追跡、振り切ろうしたダイアナらが乗った車は事故を起こした。
通りすがりの医師が携帯電話で救急車を手配した。
救急隊が到着するまで、この医師とマスコミ関係者の1人が、ダイアナの応急処置にあたった。他のマスコミ関係者は、カメラで事故の写真をとっていた。
病院に搬送されたダイアナは、意識が戻ることなく、午前4時頃(現地時間)に死亡が確認された。
交通事故現場に遭遇したら、人命救助に協力するのが人としてのモラルである。
しかし、現場にいたマスコミ関係者(1人を除く)は、その現場写真をとり続けた。
マスコミは国民に対して偉そうなことを言うが、自分たちはどうなのだ?
ダイアナ元王太子妃のご冥福をお祈りいたします。