今日は、日本と連合国(中華民国・英国・米国など)との戦争の名前が「大東亜戦争」と決まった日だ。
しかし、戦争が終結すると直ぐに、戦勝国により「大東亜戦争」という言葉は使用禁止となってしまった。
翌年には「支那」という言葉も使用されなくなった。
昭和17年に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」、 出典:Wikipedia
昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が発生し、日本と中華民国は戦闘状態になる。
同年9月、第1次近衛内閣はこの戦闘を「北支事変」と閣議決定する。「○○戦争」としなかったのは、この時点では両国が宣戦布告をしていなかったからである。
昭和16年(1941年)8月、米国・英国・中華民国・オランダは、日本への石油輸出を禁止した。いわゆる「ABCD包囲網」である。
この時、日本は石油の約8割を米国から輸入していた。国内の石油貯蓄量は、平時で2~3年、戦時で1年半ほどだった。
同年11月、米国は日本に「ハル・ノート」を突き付ける。日本に対し、支那大陸からの即時撤退、蔣介石政権(日本が戦闘中の中華民国の政権)の承認、日独伊三国同盟の無効化などを要求した。
日本は『餓死するか』『奴隷になるか』『戦うか』の状況にまで追い込まれてしまう。
昭和16年(1941年)12月8日、日本は英国と米国に宣戦布告をする。
4日後の12日、東條内閣は中華民国や英国、米国などの連合国との戦争を「大東亜戦争」と閣議決定する。支那事変も含めるとした。
大東亜戦争1周年を記念し発行された切手、出典:Wikipedia
昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾。翌15日には玉音放送により、日本の敗戦が国民に知らされる。
同年9月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は新聞や雑誌などに「大東亜戦争」という言葉を使用禁止とする命令を出した。同時に「大東亜共栄圏」「八紘一宇(はっこういちう)」なども禁止とした。
同年12月7日、朝日新聞が「太平洋戦争」という言葉を初めて使用。翌8日より新聞各紙で、GHQにより作成された「太平洋戦争史−真実なき軍国日本の崩壊」の掲載が始まる。
以降、日本では「太平洋戦争」という言葉が定着していった。
昭和21年(1946年)6月、中華民国の意向により、外務省が東京都下の主要新聞社あてに『支那の呼稱を避けることに關する件』を発出する。これを機に、公文書やマスコミから「支那」という言葉が消えた。
先の大戦を何と呼ぶべきか?
筆者は「大東亜戦争」と呼びたい。