今日は大東亜戦争における南京戦が終結した日だ。日本軍により、中華民国の首都・南京は陥落した。
この時、日本軍が南京市民30万人を虐殺したと主張する人もいる。いわゆる「南京大虐殺」である。
昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件が起きる。同月内に、通州事件などの日本人虐殺事件も発生。
盧溝橋事件を機に、日本と中華民国(国民政府)は戦闘状態に突入する。大東亜戦争の始まりである。
同年8月13日、日本軍と中華民国(国民党軍)は上海で大規模な軍事衝突をする。これを「第二次上海事変」または「上海戦」と呼ぶ。
第二次上海事変では、日本軍10万人弱、国民党軍25万人ほどの死傷者がでたと言われている。
同年10月26日、第二次上海事変は日本軍の勝利に終わった。
国民党軍は南京へ逃げて行き、日本軍はこれを追撃した。
国民党軍は逃げていく途中、日本軍進撃を食い止めるため、橋梁や道路を徹底的に破壊。家屋も焼き払った。
日本軍兵士らを歓迎する南京市民(昭和12年12月17日)、毎日新聞より
昭和12年(1937年)12月4日、南京戦が始まった。
国民政府のトップ、蒋介石は直後に南京を脱出した。
当時の南京は「南京城」という城壁に囲まれた城壁都市で、大部分の人はこの内側に住んでいた。
南京城攻略・入場を前に、日本軍は不法行為がないよう軍紀を徹底していた。中山陵、革命志士の墓、明孝陵への立入も禁止した。外国人ジャーナリストも多数いたためだ。
12月8日、日本軍は南京城を包囲。多少の戦闘の後、日本軍は国民党軍に降伏勧告を行なった。
10日、投降勧告の期限が過ぎても国民党軍から反応がなかったため、日本軍は総攻撃を開始した。一部の部隊は被害を受けたが、戦局は日本軍有利に進んだ。
12日、国民党軍の唐生智(とう せいち)司令官は撤退命令を出し、逃走した。
13日、南京は陥落した。日本側の死者は1,558人だった。
南京城内で現地の子供たちと遊ぶ日本軍兵(昭和12年12月20日)、朝日新聞より
南京大虐殺は本当にあったのだろうか?
当時、南京城内の人口は約25万人である。どうして30万人を虐殺することができるのだろうか。死体はどのように処理したのだ。
ちなみに、日本軍が南京城に入場後、南京城内の人口は増えている。
南京には多くの外国人ジャーナリストもいたが、そのような報道がなかったのも不思議である。
日本と中華人民共和国が国交を結ぶ際にも、話題にすらなっていない。
南京大虐殺が騒がれ始まったのは昭和50年代からである。なぜ、そんなに長い間、話題にならなかったのか。
国民党軍の兵士は一般人に偽装し、日本軍への襲撃を行っていた。これを「便衣兵(べんいへい)」と言う。国際法違反である。
南京戦の直前、国民党は南京に住む多くの一般人男性を強制徴用し、無理やり国民党軍兵士とした。
これらの事情から、南京戦では兵士と一般人の境界が曖昧になっていたのは事実だ。
日本軍が彼らを攻撃したことが、南京大虐殺があったとする人たちの根拠である。
筆者は南京大虐殺はプロパガンダだと思う。「日本軍による南京大虐殺あった」と主張する人から、納得のいく説明を聞いたことがないからだ。
少なくとも、広島や長崎に原子爆弾を投下した米国や、ウイグルやチベットなどで現在も人権弾圧をしている中華人民共和国に言われる筋合いはない。