素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2680年12月14日

今日は、在日朝鮮人の帰還事業で初の帰国船が新潟港を出港した日だ。

 

在日朝鮮人の帰還事業とは、在日朝鮮人やその家族を、日本から朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)へ永住帰国・移住させた事業である。

昭和34(1959)年から昭和59(1984)年にかけ、155回行われた(第155次帰還船が最後)。

北朝鮮に渡った人は計93,340人。このうち、日本人妻などの日本国籍保持者は少なくとも6,839人。

 

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日本を出港する北朝鮮へ向かう帰国船、日本政府「写真公報(昭和35年1月15日号)」より

 

大東亜戦争終結以前、現在の北朝鮮大韓民国(韓国)がある地域は日本だった。朝鮮半島からは多くの人が日本本土に出稼ぎに来ていた。

昭和20(1945)年に日本が戦争に敗れると、戦勝国朝鮮半島などを日本から強制的に分離した。日本本土と朝鮮半島は往来が出来なくなった。

昭和23(1948)年、朝鮮半島の南側に韓国、北側は北朝鮮がそれぞれ成立。昭和25(1950)年には、お互いが朝鮮半島の主権を主張し「朝鮮戦争」が勃発した。この時、韓国から日本に密入国した人が多数いた。

 

昭和30(1955)年、北朝鮮の事実上の大使館である在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総連)が設立する。

朝鮮総連はすぐに「在日朝鮮人の帰還事業」の準備を始めた。日朝両赤十字は早期から協力した。

国会では共産党社会党(現:社会党)が積極的に支援。一部の自民党議員も協力した。

昭和34(1959)年2月、日本政府は「在日朝鮮人の帰還事業」を了解した。背景として、在日朝鮮人の犯罪率が高かったこと(日本人の約6倍)、生活保護受給者が多かったこと等があるとみられる。

 

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当時のマスコミは「在日朝鮮人の帰還事業」を積極的に支援した。特に朝日新聞

朝日新聞昭和35年2月26日)より

「 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ。

 

在日朝鮮人の帰還事業」を「怪しい...」と指摘する人も多かった。

同帰還事業を主催していた朝鮮総連は、公安調査庁から破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定されている。警戒するのは当然である。

マスコミは真実を報道すべきだと筆者は思う。