今日は毎日新聞の前身にあたる、東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)が創刊した日だ。
150年近く前のことである。
東京日日新聞創刊号、明治5年2月21日(旧暦)付、出典:まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室
明治5年(1872年)2月21日(旧暦)、『東京日日新聞』が東京浅草の日報社から創刊する。現在の暦では、3月29日になる。
明治15年(1882年)、『日本立憲政党新聞』が大阪で創刊する。
新聞名を『日本立憲政党新聞』から、明治18年(1885年)に『大阪日報』へ、明治21年(1888年)には『大阪毎日新聞』へと変える。
明治44年(1911年)、『大阪毎日新聞』が『東京日日新聞』を買収する。
昭和11年(1936年)、『東京日日新聞』が『時事新報』を合併する。成都事件。
昭和12年(1937年)、『東京日日新聞』が「百人斬り競争」を報じる。
昭和18年(1943年)1月1日、『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』の新聞名を共に『毎日新聞』に変えた。現在のかたちとなる。
毎日新聞東京本社(東京都千代田区)、出典:Wikipedia
現在の菅内閣や安倍前内閣には否定的である。米国に対しても否定的。
一方、支那には友好的である。
英ガーディアン紙によると、支那国営メディアは海外30以上の大手メディアと提携し、"CHINA WATCH"というプロパガンダまがいの記事を報じさせているという。
この役目を「日本では毎日新聞社が担っている」と報道している。
東京日日新聞の「百人斬り競争」の記事、昭和12年(1937年)12月13日
筆者が毎日新聞(当時は東京日日新聞)のしたことで最も許せないのは「百人斬り競争」である。
昭和12年(1937年)11~12月、南京攻略戦で上海派遣軍の向井敏明少尉と野田毅少尉が、敵兵100人斬りをどちらが先に達成するかを競争したという報道だ。
「百人斬り競争」は数回に渡り掲載され、結果は「向井が106人、野田が105人」と報道された。
戦後これが証拠となり、向井と野田は中華民国に引き渡され、南京の雨花台(うかだい)で処刑された。
「百人斬り競争」は事実ではない。
記事を書いた記者は、向井と野田の両名が敵を斬ったところを1度も確認していない。しかも、向井は負傷して前線を離れていた。
向井は砲兵隊の小隊長で、野田は大隊の副官。両者とも所属が異なり、かつ、最前線で積極的に白兵戦に参加する兵科ではない。「百人斬り競争」をすること自体不自然だ。
それ以前に、日本刀一本で100人を斬ることは不可能。
毎日新聞はよく「人権」とか「真実、公正な報道」などと言っているが、自らが創作した記事により、2人の人間が死刑になっても何とも思わないのか?
本気で人権を大切にする気があるなら、自らの誤報を認め、向井と野田の両名の命を救おうとしたはずだ。
このような新聞が149年も続いているのか...