今日は三菱重工爆破事件が起きた日だ。
昭和49年(1974年)8月30日に三菱重工業東京本社ビル(東京都千代田区丸の内)で、東アジア反日武装戦線「狼」が起こした無差別爆弾テロ。
死者8人、負傷者376人。
東アジア反日武装戦線とは、昭和47年(1972年)に結成された武闘派左翼グループ。日本滅亡を目的とした、テロリスト集団。
企業への爆弾テロなどを行っていた。
東アジア反日武装戦線にはいくつかの班があり、三菱重工爆破事件を起こしたのは「狼」班。「狼」のメンバーは以下の4人。
- 大道寺将司
- 大道寺あや子
- 片岡利明
- 佐々木規夫
事件現場となった旧三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)、出典:Wikipedia
昭和49年(1974年)8月30日午後0時25分頃、「狼」のメンバー4人は三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)1階出入り口のフラワーポット脇に時限爆弾を仕掛けた。
午後0時42分頃、メンバーは三菱重工ビルの電話交換手に「三菱重工前の道路に時限式爆弾を仕掛けた。付近のものは直ちに避難を」との電話をかけた。
午後0時45分、時限爆弾が爆発した。
三菱重工業東京本社ビルの1階部分は破壊され、玄関ロビーは大破、窓は9階まで全て割れた。建物内にいた社員に多くの死傷者がでた。
爆風と飛び散ったガラス片等により、三菱重工とは無関係な人も多くが被害にあった。
死者8人(即死5人、病院収容後に死亡3人)、負傷者376人。死亡した8人のうち、6人は三菱重工の社員ではなかった。
犯行声明
一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。
三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。
今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。(中略)
最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。
海外での活動を全て停止せよ。海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。
この警告に従うことが、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である。
昭和50年(1975年)5月19日、「狼」のメンバー4人は一斉に逮捕された。
同年6月28日、起訴。
佐々木規夫と大道寺あや子は、日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件とダッカ日航機ハイジャック事件で「超法規的措置」により釈放。日本赤軍に合流し逃亡。現在も国際指名手配中。
大道寺将司と益永利明は死刑が確定。大道寺は平成29年(2017年)に東京拘置所で病死(68歳没)。益永は現在、東京拘置所に収監されている。
東アジア反日武装戦線のメンバーは、「戦前の日本=悪」と信じ込んでいた。
彼等がこのように考えるようになったのは、国内で反日活動をしていた支那人の影響が大きい。
元メンバーには、歴史の事実を知り、保守思想にかわった人も多い。
正しい歴史認識は大切である。
そして、日本が大東亜戦争に負けていなければ、この事件は起きなかった。