観念形態を指す言葉である。思想や考え、信念やなどをまとめたもの。
主に、政治や宗教における観念に対して使用される。
人類が初めて持った大規模なイデオロギーは、宗教である。
世界最古の宗教については様々な見解があるが、少なくとも、紀元前には複数の宗教が崇拝されていた。
「イデオロギー」という言葉は、19世紀初頭と出来たとみられる(もっと前との説あり)。
一般的に使用されるようになったのは第二次世界大戦以降で、民主主義や資本主義、社会主義、共産主義などの政治に関する思想に対してよく使用される。
右翼(保守)や左翼(革新)も、環境主義も、戦後日本のいわゆる「自虐史観」も、イデオロギーと言える。
なぜ、人はイデオロギーを持つのか?
宗教を信じたり、政治思想(政治イデオロギー)を持つのは、なぜか?
それは必要だからである。
イデオロギーの本質は、自らの正義の追求である。そして、それをやっている人間は心地良い。
ただ、イデオロギーは満足感を得るが、客観的思考は奪う。
この事実を忘れてはいけない。イデオロギーを持つのはいいが、カルト化してはいけない。
日本にはかつて、数々の殺人・テロ事件を起こした「オウム真理教」という新宗教団体があった。
イニシエーション(修行)は、教祖・麻原彰晃と性交したり、麻原の血液入りの液体を飲んだり、熱湯に入ったり、塩水を飲んで吐き出したり...
信者は修行をすれば救われると信じていた。
オウム真理教は平成2年、衆院選に出馬し全員落選した。麻原や信者らは「票が操作されている」と言っていた。
ここまでではないが...
右翼や左翼も同じような事をしている。
同政治団体支持者は、この代表が「当選しないと日本が終わる」と言っていた。
彼等は、この代表が当選すると信じていた。落選がわかると、マスコミが報道しないのが原因だと騒ぎだした。
この一連の行動は、オウム真理教の時と似ていた。
左翼は「○○すると戦争が起きる」という言葉が大好きである。
昭和35年(1960年)に現在の日米同盟を結んだ時には、「アメリカの戦争に、日本も参加することになる」と言っていた。
平成27年(2015年)に平和安保法制が成立した時にも、「戦争法」と騒いでいた。
上記のような右翼・左翼がやっている事は、身内でのみ通用するもので、第三者が見れば「関わりたくない変なヤツ」にしか見えない。
イデオロギーに被れると、無意識のうちに、一般人が引くような行動をとってしまう。しかも、本人には自覚がない。
そういう筆者も保守思想である。自分の行動には気をつけたい。
保守が「日本のために」と想い行動しても、結果は逆になる。今まで、何度も起きていることである。