今日はグリコ・森永事件に関して、犯人グループの一人とみられる「キツネ目の男」の似顔絵を大阪府警察が公開した日だ。
グリコ・森永事件とは、昭和59年(1984年)から翌年にかけ、大阪府と兵庫県で発生した、食品会社を標的とした一連の脅迫事件。
警察庁広域重要指定114号事件。初めて未解決事件(完全犯罪)となった警察庁広域重要指定事件。
犯人グループの一人とみられる「キツネ目の男」の似顔絵、大阪府警察公開
昭和59年(1984年)3月18日、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に犯人グループが押し入り、社長を誘拐した。グリコ・森永事件事件の始まりである。
翌19日より犯人グループは江崎グリコと交渉を始めたが、21日に社長が自力で脱出した。
犯人グループはこの後も、江崎グリコを何回も脅迫。
4月10日夜には、江崎グリコ本社が放火され、試作室約150m2が全焼した。本社から約3 km離れたグリコ栄養食品も放火されたが、こちらは直ぐに消し止められた。
4月12日、警視庁は一連の事件を警察庁広域重要指定114号事件に指定した。
6月2日、犯人グループから指示された現金受け渡し場所を警察が急襲。 犯人確保と思われたが、犯人グループが仕掛けた「替え玉」だった。警察は誤認逮捕をしてしまう。
6月24日、江崎グリコは新聞朝刊に「ともこちゃん、ありがとう。グリコは、がんばります」という広告を掲載した。
6月26日、犯人グループから「グリコゆるしたる」というメッセージがマスコミに届く。以降、犯人グループは江崎グリコへの脅迫はやめた。
この4日前の6月22日、犯人グループは丸大食品を脅迫。
その後、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫した。
犯人は現金の引き渡し場所に、一度も現れなかった。しかし、犯人らしき人物は何度か目撃されていた。
昭和59年(1984年)11月14日夜、犯人グループから脅迫を受けたハウス食品は、現金を引き渡そうとする。
犯人グループは次々と現金引き渡し場所を変えた。
午後9時頃、大津サービスエリアで、警察が「キツネ目の男」を発見する。「キツネ目の男」は6月28日の丸大食品脅迫事件でも、目撃されていた。
捜査本部は現金受渡による現行犯逮捕する方針としていたため、捜査員による尾行や職務質問は禁じられていた。現場の捜査員は「職務質問をしたい」と要請したが、本部はこれを拒絶した。
警察は「キツネ目の男」を取り逃がしてしまう。
翌月末、マスコミはこの事を報道し始める。
昭和60年(1985年)1月10日、大阪府警察はグリコ・森永事件の重要参考人として「キツネ目の男」の似顔絵を公開した。
昭和60年(1985年)8月7日、ハウス食品事件で「キツネ目の男」取り逃がした滋賀県警察の山本本部長が、自身の退職日に本部長公舎の庭で焼身自殺した。遺書はなかったが、失態を苦にしたものとみられる。
8月12日、犯人グループから「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。理由は、自殺した滋賀県警本部長への香典代わりだという。
以降、犯人グループの動きは無くなる。
平成12年(2000年)2月12日、グリコ・森永事件の完全時効(完全犯罪)が成立した。
グリコ・森永事件では、警察の初動ミスが目立った。
多くの遺留品があった。犯人とみられる人間を少なくとも2回は尾行したが、逃げられている。
ただ...
警察に十分な権限が与えられていない事や、マスコミがミスを過度にバッシングする事も、筆者は理由だと思う。
警察は誤認逮捕により、思い切った行動が出来なくなった...とも感じた。