平成7年(1995年)1月17日午前5時46分、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」が発生した。
震央は淡路島北部で、北緯34度35.9分、東経135度2.1分。震源の深さは16km。
この「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」によって発生した大規模な災害を「阪神・淡路大震災」という。
災害関連死も含めて 6,434人が亡くなり、現在でも 3人が行方不明となっている。
戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模だった。
JR新長田駅南西付近~鷹取駅付近(平成7年1月17日)、写真提供:神戸市
消防庁確定の「阪神・淡路大震災」の被害状況は以下のとおり。なお、カッコ内は兵庫県での被害
- 死者:6,434人(6,402人)
- 行方不明者:3人(3人)
- 負傷者計:43,792人(40,092人)
- 住宅被害計:639,686棟(538,767棟)
情報元:兵庫県/阪神・淡路大震災の被害確定について(平成18年5月19日消防庁確定)
神戸市桜ヶ丘町付近(平成7年1月17日)、写真提供:神戸市
「阪神・淡路大震災」発生時、内閣総理大臣は村山富市氏だった。村山氏の震災当日の対応は、時系列で以下のとおり。
- 5時46分:地震発生
- 8時30分:官邸入り
- 8時45分:総理大臣談話発表。「被害状況の把握に全力を挙げ、万全の対策を講じる」という内容
- 9時20分:官邸で予定されていた月例経済閣僚会議
- 10時00分:「非常災害対策本部」の設置を決定
- 10時以降:自衛隊出動
危機管理の無さを指摘された村山氏は「何分初めての経験でもございますし、早朝の出来事でもございますから、幾多の混乱があったと思われます」と述べた。
神戸市大池町2丁目より東を望む(平成7年1月18日)、写真提供:神戸市
しかし、阪急伊丹駅へ近傍派遣(災害派遣)を行った第36普通科連隊を除き、他の部隊は知事の要請がなかったため待機状態となっていた。
自衛隊が動けなかったのは、村山氏ばかりの責任ではない。動けない仕組みだったのだ。
自衛隊が動ける仕組みだったら、救えた命はあっただろう。
「軍隊=悪」という考えの元、自衛隊の動きを必要以上に縛れば、結局、痛い目を見るのは国民である。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、かけがえのないご家族やご親族、ご友人を亡くされた方々にお悔やみ申し上げます。