東京都知事や運輸大臣などを務めた、作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏が1日、東京都大田区の自宅で死去した。
89歳だった。慎太郎氏は昨年10月、膵臓癌を再発していた。
葬儀は近親者のみで行い、後日に「お別れ会」を開く予定。
一橋大学在学中の昭和31年(1956年)に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞。小説は映画化され、弟の石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)氏が俳優デビューした。「太陽族」という流行語も生まれた。
昭和43年(1968年)、参院選全国区に自民党公認候補として出馬。史上最高の301万票を獲得し初当選した。
その後、衆議院に鞍替えし、環境庁長官や運輸大臣などを歴任した。
運輸大臣時代には、成田空港に新駅を設置する構想を発表。JR東日本の特急「成田エクスプレス」と、京成電鉄の特急「スカイライナー」の乗り入れが実現することとなる。
平成元年(1989年)、周囲から推される形で自民党総裁選挙に出馬したが、海部俊樹氏に敗れた。
平成7年(1995年)、議員在職25年表彰を受けての衆議院本会議場での演説中、「日本の政治は駄目だ。失望した」という趣旨の発言を行い、議員辞職した。
平成11年(1999年)、東京都知事選挙に出馬し初当選。その後、約13年6カ月に渡り、東京都知事を務めた。
都知事としては、新銀行東京、首都大学東京の設立、外形標準課税の導入、ディーゼル車排ガス規制などの政策を実施した。東京マラソンの開催、東京オリンピック・パラリンピックの招致にも尽力した。
平成24年(2012年)、旧日本維新の会の代表に就任。衆院選で当選し、17年ぶりに国政に復帰した。
三島由紀夫氏(手前)と石原慎太郎氏(奥)、出典:日本近代文学館
慎太郎氏に対しては、賛否両論あるのだろう。
外国に対してもハッキリと自らの意見を言うため、支那や韓国などは「右翼」と言っていた。
慎太郎氏は物事に対して正面から向き合う、数少ない保守派(タカ派)の政治家だった..と筆者は思う。
このような政治家は、もう現れないかもしれない。
御冥福をお祈り致します。