素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2682年2月17日

今日は真岡銃砲店襲撃事件が起きた日だ。

 

昭和46年(1971年)2月17日午前2時半頃、日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会、通称「革命左派」が栃木県真岡市の真岡銃砲店を襲撃した。

革命左派のメンバー6人(全員男性)が押し入り、一家4人を縛り、散弾銃9丁・ライフル1丁・空気銃1丁・銃弾約2300発を強奪した。

事件直後に2人は逮捕されたが、他の4人は逃走した。

強奪された銃は、あさま山荘事件や松江相銀米子支店強奪事件で使用された。

 

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日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会の機関紙『解放の旗』

 

日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会とは、昭和44年(1969年)に結成された新左翼党派。「革命左派」「日本共産党革命左派神奈川県委員会」「京浜安保共闘」などとも呼ばれる。

マルクス・レーニン主義毛沢東思想を崇拝。共産主義革命、暴力革命(反米愛国闘争)を目的としていた。

 

昭和42年(1967年)、日本共産党支那文化大革命を否定。党内にいた支那派(毛沢東思想崇拝者)を大量に除名した。

日本共産党を除名された支那派のグループが「日本共産党(左派)神奈川県委員会」、通称「神奈川左派」をつくった。「警鐘」グループもこれに合流した。

神奈川左派で内ゲバが起こり、昭和44年(1969年)に結成されたのが日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会、通称「革命左派」である。

 

革命左派は、愛知外務大臣ソ連訪問を阻止するため羽田空港の滑走路へ火炎瓶を投擲。米ソ両大使館へも火炎瓶投擲。

その後、米軍基地の横田基地厚木基地に次々と侵入し、放火やダイナマイトによるテロ行為を行った。

昭和45年(1970年)12月18日には上赤塚交番(東京都板橋区)を襲撃。拳銃を強殺しよとしたが、メンバー1人が警察官に射殺された。

このため、革命左派は交番襲撃を諦め、銃砲店を襲撃した訳だ。

 

昭和46年(1971年)7月15日、革命左派は共産主義者同盟赤軍派派と合流し「連合赤軍」を結成した。

しかし、昭和46年年12月から翌年2月にかけ仲間同士で殺し合う「山岳ベース事件」が発生。12人が死亡した。

昭和47年(1972年)2月には、あさま山荘事件を起こした。

連合赤軍は解散。多くのメンバーが逮捕されたが、一部は国内逃亡し再びテロ活動を行った。

 

この頃の左翼は狂暴だったが、命懸けで行動していた。

法律や社会規範より、自らの正義を優先し行動する人間は...恐ろしい。

今の左翼は半端者ばかりだが、その方が幸せなのかもしれない。