昭和20年(1945年)8月9日、「長崎大虐殺」は起こった。
米国の原子爆弾(正式名「インプロージョン方式プルトニウム活性実弾 F31」)が使用され、長崎市民の多くが犠牲となった。
当時の長崎市は人口約24万人。同市の同年12月末の集計によると、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。
また、長崎市内には捕虜を収容する施設もあり、連合軍兵士(主に英軍・蘭軍兵士)にも大量の死傷者がでたと言われている。
破壊された浦上天主堂(昭和21年1月7日撮影)、出典:Wikipedia
昭和20年8月9日午前11時2分、米軍は長崎市に原子爆弾(コードネーム「ファットマン」)を投下した。人類史上戦争で使用された最後の核兵器だ。
爆心地は街中心部から北へ約3km、長崎市松山町「浦上天主堂」の上空約500mだった。
爆発により付近一帯は一瞬で壊滅した。
浦上天主堂では、原爆投下時に告解(ゆるしの秘読)を行っていたが、司祭をはじめ数十名の信者が爆発に伴う熱戦あるいは崩れてきたがれきの下敷きになり、全員が即死した。
爆心地から500~700mの距離にある長崎医科大学でも、教職員・学生・看護婦など850余名が犠牲となった。
原爆が爆発した時の様子は、映像として記録されている。
長崎に落とされた原爆と広島に落とされた原爆は、全く別のものだ。
長崎型原爆(ファットマン)
・爆発威力(TNT換算):22kt
・原料:プルトニウム
・構造:インプロージョン方式
・爆発威力(TNT換算):15kt
・原料:ウラン235
・構造:ガンバレル方式
長崎型原爆の威力があるが、広島型原爆の方が被害が大きかった。
これは投下された地形が大きく関わっている。
広島は平地で、長崎は周囲を山に囲まれていた。
米国は2種類の原子爆弾を開発した。
長崎と広島はそれぞれ異なる原爆を使用した。
これが何を意味するのか・・・
米国に対して、好意をもつ人、反感をもつ人、共にいるだろう。
日本はこれからも長い時間、同盟国として付き合うことになる。
日本人限定の調査です。
— 素人が新聞記事書いてみた (@np_ama) August 8, 2018
あなたは、アメリカ合衆国が好きですか?
ただ、これだけは忘れないでほしい。
米国は多くの民間人や友軍の兵士を大虐殺した。