素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

長崎で平和記念式典、市長「核兵器禁止条約」を政府に迫る、正しい歴史認識ある?

長崎市は9日、原爆が投下され多くの民間人が犠牲となった「長崎大虐殺」から73年を迎えた。

市内の平和公園長崎市松山町)では、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われた。

参加者約5,200人が、原爆が投下された午前11時2分に合わせ、黙祷(もくとう)をささげた。

式典には、被爆者や遺族に加え、安倍総理や「連合国のグテレス事務総長」、71か国の代表も参列した。米国のハガティ駐日大使も出席した。

 

www.city.nagasaki.lg.jp

 

田上富久(たうえ とみひさ)長崎市長は、式典で「長崎平和宣言」を行い、「核兵器禁止条約」に賛同するよう政府に迫った。

長崎平和宣言(全文)

 

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出典:田上富久 - Wikipedia

 

昭和20年(1945年)8月9日、原子爆弾は当初、北九州市(当時の「小倉市」)に投下される予定だった。

9時44分、原爆をのせた爆撃機・B29は、投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達した。しかし、爆撃手カーミット・ビーハン陸軍大尉は、当日の小倉上空を漂っていた霞?のため、目視による投下目標確認に失敗し、原爆を投下することができない。

この時、八幡製鉄所の従業員が、敵機が接近している情報を知り、原爆の投下を警戒して「コールタールを燃やして煙幕を張った」と証言している。

その後、別ルートで3度の爆撃航程を行うがすべて失敗する。この間およそ45分。

この間に、日本軍の高射砲からの対空攻撃が激しくなる。

更に、陸軍芦屋飛行場から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地から第203航空隊の零式艦上戦闘機10機が緊急発進する。

戦闘機の緊急発進を知った爆撃機・B29は、北九州市への原爆投下を諦める。そして、代わりに長崎市に原爆が投下されることとなる。

 

田上市長はこの事実を知っているのだろうか?

それとも、知っていて選挙に勝つために「平和」を過剰にアピールしているのだろうか?

 

平和はタダではない。

再び日本国民に核兵器が使用されないためにも、核抑止力の体制を整える必要がある。

真実を知れば、「核兵器禁止条約」を政府に迫るなどの愚かな行為はしないはずだ。敵国の工作員でもない限りは。

 

安全保障上の軍事の話だけではない。

長崎市地震や台風などの災害を受けた時、田上市長は市民を守ることができるのだろうか?

私は非常に疑問に思う。