昭和20年(1945年)8月15日正午、昭和天皇により「終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)」が国民に対して告げられた。
終戦の詔書(しょうしょ)は、ラジオ放送により、当時唯一の放送局だった社団法人NHK(現在のNHKラジオ第1放送)から、事前に録音されたものが放送された。
一般に「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」と言われるものだ。
この放送により、国民は米英支ソの4カ国に対してポツダム宣言を受諾したこと、つまり、終戦を知る。(「支」は中華民国のこと)
天皇の肉声が広く国民に知られたのは、歴史上これが最初のことだった。
日本では、一般的には8月15日が「終戦の日」とされているが、諸説ある。
主なものは以下のとおりである。
・昭和20年8月14日:政府がポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
・昭和20年8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
・昭和20年9月 2日:政府が降伏文書(休戦協定)に調印した日
終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)は、「終戦の日」になるとその一部、特に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という部分がテレビなどでよく放送されているが、全部を聞いたことのある人は意外と少ないだろう。
ぜひ一度、全部聞いて頂きたい。
個人的には要点は6つあると思う。
①戦争目的は、日本の存続と東アジアの安定
③協力してくれたアジア各国への配慮
④国民への配慮
⑤内戦への戒め
⑥復興への呼びかけ
終戦の詔書、出典:ねずさんのひとりごと
国民への終戦の知らせは、「詔(みことのり)」で行われた。
詔とは、天皇の命令である。
これを文書にしたものを「詔書(しょうしょ)」という。
詔により終戦を国民に告げた理由は、内戦への戒めだ。
前日、8月14日の御前会議で、ポツダム宣言を受諾し、終戦することが決定されていた。しかし、この決定に納得できない者も多かった。軍部だけでなく、一般の国民にもである。
昭和天皇や政府の要人は、内戦が起きることを非常に警戒していた。
実際に戦争終結後、内戦に突入する国は多い。
日本人同士で殺し合うという愚かな事態を避けるため、国民への終戦の周知は、詔というかたちをとったのだ。
日本は大東亜戦争で250万人以上の犠牲者をだした。
このような悲劇は二度とあってはならない。
そのためには、正しい歴史認識が必要だ。
なぜ日本は大東亜戦争を戦わなければならなかったのか?
当時の世界情勢はどのようなものだったのか?
正しい歴史認識があるか否かで、終戦の詔書を聞いてどのように感じるのかは、全く変わってくる。