特別高等警察とは、明治44年(1911年)から昭和20年(1945年)まで存在した、内務省(戦前に存在して治安・衛生・土木などの業務を中心に国内の行政をつかさどる省)直属の警察である。
当時の府県警察は、内務省→地方局(府県知事)→府県警察という命令系統だった。
しかし、特別高等警察は内務省→府県警察特高課という命令系統だった。
このため、特別高等警察は、普通の警察と同様に警察署で勤務してはいたのだが、府県知事に命令・人事を左右されなかった。
特別高等警察は、「共産主義者や社会主義者、国家の存在を否認する者や過激な国粋主義者」を取り締まる組織だった。
左翼的思想のみならず、右翼的思想も取り締まっていた。
過激な国粋主義者が増えると、諸外国との関係に支障がでて、紛争や戦争の危険が高まると考えられていたからだ。
この事実からも、当時の大日本帝国が軍国主義やファシズムではなかったことがわかる。
実は、日本人というのは今も戦前も大きく変わっていない。ただし、江戸時代は怠け者だったが。
警視庁特別高等部検閲課による検閲事務の様子(昭和13年)、出典:Wikipedia
昭和20年(1945年)10月4日、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の人権指令により、特別高等警察は治安維持法と共に廃止された。
特高警察関係者は、1万500人ほどいたが、その半分近い4,990人が休職となり、その後「依願退職」の形で罷免となった。
当時の日本政府は、日本共○党などの反政府組織に対処するため、全国の特別高等警察網は温存させる必要があると考えていた。
このため、昭和20(1945年)12月19日、特高警察に代わる組織として、内務省警保局に公安課が設置され、各都道府県警察部にも警備課が設置された。
現在の「公安警察」である。
国外的には外国政府による対日工作、国際テロリズム。国内的には、日本共産党や極左暴力集団、新宗教団体、右翼団体など監視し、法令違反があれば逮捕することもある。
ただし、特別高等警察は公安より権限が強かった。
天皇陛下は日本の象徴です。反天連は日本を侮辱しているも同じ。こんなのにデモ許可するのってどうなんでしょ?いや 許可すら取って無いのか?どちらにしても許せない反日行為です!んー許せん! pic.twitter.com/GT3e77dMLW
— 桜🌸 (@sakura_elegant) September 25, 2018
もし特別高等警察と治安維持法が、現在も存在していたら、どうなっていただろうか。
反天皇制運動連絡会(通称「反天連」)は存在していない。
オウム真理教の一連の事件も、初期段階で防ぐことができた。
日本共○党はソ連崩壊くらいまでは存在できただろうが、今は存在していないような気がする。少なくとも、国会に議席を得ることはなかった。
原発反対や沖縄で基地反対運動をしている「プロ市民」の勢力も弱かったはずだ。
更に、暴力団や怪しい宗教団体の勢力も弱くなっていた可能性がある。
確実に言えることは、特別高等警察と治安維持法の廃止は、犯罪者にとっては非常にうれしい出来事だったということだ。
「人権」や「平和」を過度に主張する人達も、特別高等警察や治安維持法については大反対する場合が多い。
治安を良くすることを嫌う連中は、怪しい人間が多い。