素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2678年10月8日

今日は「パキスタン地震 (2005年)」が発生した日だ。

 

パキスタン地震がよく発生する地域だ。

統計がある昭和10年(1935年)以降でも、マグニチュード6を超え、多くの死傷者をだしている地震が7回も発生している。

このなかでも最も被害が大きかったのが、平成17年(2005年)に発生した地震だ。

国際緊急援助法に基づき、自衛隊が現地に派遣された。

 

f:id:newspaper-ama:20181007191322j:plain

患者の搬入をする自衛隊と現地スタッフ、出典:防衛省

 

平成17年(2005年)10月8日8時50分(日本時間12時50分)、パキスタン(正式名称「パキスタンイスラム共和国」)北部の山間部を震源とする地震が発生した。

地震の大きさを示すマグニチュードは7.5。

 

USGS(米国地質調査所)の報告による、この地震による死者は87,300人以上、負傷者は75,000人以上、家を失った人は約400万人となっている。

被害の大部分はパキスタンで発生した。

パキスタン政府が公表している死者は73,331人、重傷者は69,392人。

インド政府が公表している死者は1,350人、負傷者は6,266人。

両政府が公表している数は確認ができたものだけなので、実際の被害はもう少し大きかったと言われている。

 

f:id:newspaper-ama:20181007191859j:plain

テントを被災地へ輸送する自衛隊、出典:防衛省

 

当時の小泉内閣は、パキスタン政府の要請に応じ、「パキスタン地震における国際緊急援助活動」として、自衛隊の現地派遣を決定する。

派遣部隊として、「空輸部隊」と「航空援助隊」の2隊が編成された。

 

空輸部隊は、航空自衛隊航空支援集団により編成され、派遣人員は114名。

10月13日から、C-130H輸送機4機とボーイング747政府専用機2機を使用して、日本からパキスタンイスラマバードの空軍基地まで物資及び人員などを輸送した。

 

f:id:newspaper-ama:20181007202307p:plain

部隊の展開の概要、出典:防衛省

 

航空援助隊は、陸上自衛隊北部方面隊第5旅団を中心に編成され、派遣人員は147名。

10月18日から、UH-1多用途ヘリコプター6機を使用して、イスラマバードの空軍基地から約130キロ離れたバタグラムまで約100回往復した。

約1カ月半の活動期間の間に、援助物資約41トンと救急患者など720名を運んだ。

 

パキスタン軍の現地旅団長は、航空援助隊の活動に対して、「日本隊だけが休まず毎日来てくれた。物資を運んだだけでなく、村人に希望と勇気を与えてくれた。おかげで笑顔が戻った」と称賛した。

航空援助隊は 「真心支援」と名付け、現地の人たちと同じ目線に立ち、住民の信頼を勝ち取った。

 

f:id:newspaper-ama:20181008060343p:plain

出典:防衛省

 

平成17年(2005年)11月12日、パキスタンムシャラフ大統領(当時)が航空援助隊を突然訪問した。

大統領は「私をはじめ、パキスタン人は日本に特別な思い入れがある。日本は偉大な国であり、尊敬している」と述べ、隊員たちを激励した。

地元の有力紙も大きく報道し、日本とパキスタンの絆は強まった。

更に、大統領は14日、小泉総理との電話会談において、「自衛隊は素晴らしい働きをしている」と述べ、日本の支援に謝意を表明した。

 

ただ、この話は日本ではほとんど報道されていない。 

私が知る限り、全国紙で報道したのは産経新聞だけだった。

国民として、自衛隊に申し訳ない気持ちだ。