今日は「東トルキスタン共和国」が建国した日だ。
東トルキスタン共和国国旗、出典:Wikipedia
東トルキスタン共和国とは、20世紀前半、中華民国の新疆省(しんきょうしょう)(現在の新疆ウイグル自治区)東トルキスタン地方に存在した国である。
東トルキスタン共和国は、2回建国を宣言している。
1回目は昭和8年(1933年)11月12日、これを「第1次東トルキスタン共和国」又は「東トルキスタン・イスラーム共和国」と言う。
2回目は昭和19年(1944年)11月12日、これを「第2次東トルキスタン共和国」と言う。「東トルキスタン共和国」と言えば、通常はこちらを指す。
両国とも、11月12日に建国を宣言している。
ただし、第1次東トルキスタン共和国と第2次東トルキスタン共和国では、実効支配していた地域が異なる。
両国とも、ウイグル人の居住地域を実効支配しており、建国にはウイグル人が中心的な役割を果たした。
このため、ウイグル人は11月12日を記念日としており、全世界で記念式典が行われる。
情報元:【11月18日 東京】東トルキスタン独立記念式典 | 日本ウイグル協会
第1次東トルキスタン共和国の実効支配域、出典:Wikipedia
昭和8年(1933年)11月12日、第1次東トルキスタン共和国は建国した。
実効支配していた地域は、タリム盆地西南部のカシュガルである。
当時、この地域では中華民国の新疆省政府に対し不満を持っている者が多く、独立運動が頻繁に行われていた。ウイグル人が主体となり、これらをまとめ、第1次東トルキスタン共和国は建国された。
しかし、 第1次東トルキスタン共和国の軍隊は非力であったため、翌昭和9年(1934年)初頭には中華民国の軍隊に壊滅させられてしまう。
第1次東トルキスタン共和国は、わずか数カ月で滅んでしまった。
第2次東トルキスタン共和国の実効支配域、出典: Wikipedia
昭和19年(1944年)11月12日、第2次東トルキスタン共和国は建国した。
実効支配していた地域は、現在の新疆(しんこう)ウイグル自治区北部のグルジャ市周辺である。
第2次東トルキスタン共和国の建国前にも、独立運動が頻繁に行われていた。
そして、彼らを支援していたのがソ連軍(赤軍)である。装備や要員面などで協力していた。
第2次東トルキスタン共和国は、その軍事力の大部分をソ連に依存した国であった。
昭和20年(1945年)9月、第2次東トルキスタン共和国の「頭越し」に、ソ連と中華民国の交渉が行われた。
昭和21年(1946年)、第2次東トルキスタン共和国はソ連の意思に従い、中華民国の新疆省政府に合流し「東トルキスタン・イリ専署(イリ専区参議会)」と改称する。ソ連の都合により、第2次東トルキスタン共和国は消滅してしまう。
そして、昭和22年(1947年)5月ごろには、「東トルキスタン・イリ専署」も権力を失ってしまう。つまり、以前の中華民国の新疆省政府の一部に戻ってしまう。
昭和24年(1949年)10月1日、中華民国との戦い(国共内戦)に勝利した支那共産党が、中華人民共和国を建国する。
同年12月には、人民解放軍が新疆全域に展開し、完全に中華人民共和国に統合されてしまう。
そして、昭和30年(1955年)、「新疆ウイグル自治区」が設置され、現在に至る。
中華人民共和国の「自治区」という行政区分は、少数民族の意見を尊重するためのものである。基層組織居委会や村委会などの自治組織が設けられている。
新疆ウイグル自治区では、ウイグル人による自治がある程度は認められている・・・はずだったが、現実は全く違う。
最近、中華人民共和国によるウイグル人への人権弾圧が時々話題になるが、 これは昔からあったものである。
新疆ウイグル自治区は、事実上植民地である。
すでに新疆ウイグル自治区の人口の半分近くは、漢民族となってしまっている。
もし、第1次東トルキスタン共和国や第2次東トルキスタン共和国に強力な軍隊があれば、ウイグル人がこのような理不尽な目に合うことはなかった。
悲しいけど、これが現実である。