もう41年の時間が流れてしまった。
ご家族の気持ちを思うと、胸が苦しくなる・・・
拉致される前の横田めぐみさん、出典:政府 拉致被害対策本部
昭和52年(1977年)11月15日朝、当時13歳の横田めぐみさんは、両親と双子の弟たちの5人で一緒に朝食を食べ、中学校へと出かけて行った。
いつもと変わらぬ朝だった。
夕方、めぐみさんは学校でバトミントンの練習を終え、帰ってくるはずだった。
しかし、いつもの時間を過ぎても、めぐみさんは帰ってこなかった。
家族は心配になり、めぐみさんを探した。
警察も、家出や事件・事故、自殺などあらゆる状況を想定し捜査を進めたが、目撃者はおろか、遺留品さえ見つけることはできなかった。
めぐみさんは忽然(こつぜん)と消えてしまった。
めぐみさんがいなくなった日から、家族の生活は一変してしまう。
お父さんは毎朝、少し早めに家を出て、海岸の見回り続けた。
お母さんは家事を終えると、町のあちこちを歩き回り、めぐみさんの名前を呼びながら海岸をどこまでも歩いた。
家族の努力も虚しく、何も手掛かりも得られないまま、無常にも時間だけが過ぎていった・・・
北朝鮮に拉致された後に撮られた写真、出典:救う会 全国協議会
20年近くが経った平成9年(1997年)1月、めぐみさんは北朝鮮により拉致されたことが明らかとなる。
政府の拉致問題対策本部によりと、拉致された時、めぐみさんの状況は以下のとおりだったという。
ずっと後になって出てきた証言によると、お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、40時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で寒い船倉に閉じこめられていたというのです。めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、出入口や壁などあちこち引っかいたので、北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって血だらけだったと言われています。
引用:日本国政府
平成14年(2002年)9月17日、当時の小泉総理大臣は北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長と初の日朝首脳会談を行う。
ここで北朝鮮から、めぐみさんについての情報が提供されるのだが、それは「すでに死亡」という衝撃的なものだった。
同年11月、北朝鮮は「めぐみさんの遺骨」というものを日本へ引き渡す。
しかし、DNA鑑定の結果、偽物であることがわかる。
現在も、めぐみさんは北朝鮮に拉致されたままである。
私たちにできることは何か?
上に「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」のサイトへのリンクがある。
1日も早く、拉致被害者全員が日本の土を再び踏む日が来てほしい。