多くの方は、「日本の首都は東京」と思っているだろう。
しかし、確実にそうとは言い切れない。
現行の法令で、「首都」について定めているものはない。
政府見解では「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」となっている。
この政府見解に対しては、多くの異論がでている。
そもそも「首都」という言葉は、大東亜戦争以降に広まった言葉だ。
「日本の首都は事実上東京」が正確な表現だろう。
その代わり・・・
都(みやこ)なら東京だ。
都とは、皇居が所在するところを指す。
つまり、天皇が住んでいる所である。
慶応4年(1868年)9月3日、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられる。
証書(しょうしょ)とは、天皇の意思表示の公文書で、一般に公示されるものである。
この詔書には、天皇が日本をひとつの家族として東西を同視するとあった。そして、江戸を「東京」と改め、東京に天皇が住むという内容のものであった。
東京の誕生である。
ちなみに、改称当時の読みは「とうきょう」ではなく「とうけい」である。
慶応4年(1868年)10月12日、明治天皇は即位の礼を執り行う。皇位を継承したことを国の内外に示す儀式である。
明治(1868年)元年11月4日、京都を出発して東京に行幸(ぎょうこう)する。行幸とは、天皇が外出することを言う。
同年11月26日、江戸城へ到着し、江戸城はその日のうちに「東京城」と改称される。
余談になるが、この時の日付けは、まだ旧暦を使っていた。
旧暦は1カ月半ほど日付けが早くなる。
明治天皇が江戸城(現在の皇居)へ到着したのは、旧暦では10月13日、現在のグレゴリオ暦では11月26日になる。
明治天皇が東京へ到着した時、東京府民(当時は東京都ではなく、東京府だった)は狂喜乱舞したと言う。明治天皇は盛大な歓迎を受ける。
京都市の平安京は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、都(みやこ)だった。治承(じしょう)4年(1180年)に数カ月、神戸市の福原京(ふくはらきょう)に移ったという見解もある。
京都は1,070年以上、名実共に、日本の都だった。
その都が京都から東京へ移った。
これは日本にとって非常に重要な出来事であった。
天皇が住んでいる所を現在は「皇居」と呼ぶ。
しかし、これは時代と共に何回も変わってきている。
昔の書物に登場するものには、内裏(だいり)、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)などがある。
明治21年(1888年)から昭和23年(1948年)までは、「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれていた。
法律上もそのようになっていた。
大東亜戦争に敗れたため、宮內府告示第十三号「皇居を宮城と称する告示廃止」が出され、昭和23年(1948年)7月1日より、宮城は皇居と呼ばれるようになった。
情報元:官報. 1948年07月01日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
戦争に負けるとはこういうことだ。