今日は
竹島の位置、原典:領土・主権対策企画調整室
これらを合わせた総面積は約0.21km2。
竹島は現在、韓国が不法占拠している。
竹島の領土権確立のためには、国民世論の啓発が不可欠である。
島根県議会は国に対して「竹島の日」を制定するよう働きかけてきたが、その動きは今だに見られていない。
このため、島根県は平成17年(2005年)、竹島問題に対する県民と国民の理解と関心を更に深めるため「竹島の日」を制定した。
2月22日を「
昭和27年(1952年)1月18日、李承晩韓国大統領は国際法に反して「海洋主権宣言」を行う。通称「李承晩ライン」である。
同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張すると同時に、竹島も自国の領土だと主張した。
昭和28年(1953年)3月、竹島は在日米軍の爆撃訓練区域だったが、解除されることが決定される。その後、再び竹島周辺で漁業が行われるようになる。しかし、韓国人も竹島やその周辺で漁業を行う。
同年7月12日、竹島周辺で不法漁業に従事している韓国漁民に対し、海上保安庁巡視船が退去するように要求する。この時、韓国漁民を援護していた韓国官憲により、海上保安庁巡視船は銃撃される。
情報元:竹島で巡視船發砲さる(山陰新報) | 竹島資料ポータルサイト(Takeshima Archives Portal)
昭和29年(1954年)6月、韓国は韓国沿岸警備隊を竹島に駐留させると発表する。
同年8月、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が竹島から銃撃される。これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認される。
そして、現在も引き続き警備隊を駐留させている。
韓国に拿捕され拷問を受けた日本人漁民、島根県第三興洋丸の乗組員? 出典:NAVER まとめ
韓国は無抵抗な民間人である日本人漁民に対して、漁船拿捕や抑留、発砲、拷問などを行う。
昭和27年(1952年)1月18日の「李承晩ライン」設定~昭和40年(1965年)6月22日の日韓基本条約が締結までの間に、拿捕された日本漁船は328隻、抑留された船員は3,929人、死傷者は44人である。
情報元:竹島領有権問題について
日韓基本条約は、韓国にとって非常に有利な条約である。その理由は日本人を人質にとっていたからである。
韓国が日本から竹島を奪った時、日本は無抵抗な状態だった。
連合国の意向により大日本帝国海軍・陸軍は解体され、自衛隊もまだ設立されていなかった。
憲法9条はあったが、領土と国民の安全・生命を守ることはできなかった。
この出来事を日本人は忘れてはいけない。