今日は「日清講和条約」が調印された日だ。下関の
日清講和条約とは、日清戦争を終結させるため、日本と
日清戦争とは、明治27年(1894年)7月25日から明治28年(1895年)4月17日に、日本と
清は現在の中華人民共和国とは全く別の国である。支配していた民族も、公用語も、通貨も違う。
明治28年(1895)4月17日、日清講和条約は調印された。主な内容は以下のとおり。
・清は朝鮮の独立を認める
・清は賠償金 2億
日本が日清戦争を始めた目的は、朝鮮を独立させるためである。
当時、ロシア帝国が南下をしてきていた。このため、日本は朝鮮を独立させ、ロシア帝国が攻めてきた時の緩衝国にしようとしていた。
緩衝国とは、大国の間に位置し、大国同士の衝突を防ぐ役割を果たしている国のことである。
日本は日清戦争の目的を達成した。
日本は
・・・となるハズだったのだが、ロシア帝国の策略「三国干渉」により、日本はすぐに
台湾(
台湾と
この時の台湾居住者の大多数は台湾原住民であった。台湾人は漢民族ではない。最近のDNAの調査によれば、台湾人の約8割が南方アジア系という結果がでている。
台湾は親日国である。現在でも日本と台湾は良好な関係を保っている。
日本は 2億
「1両≒銀37.3g」なので、2億3000両では銀857.9万kgほど。清国は3年分割で英ポンド金貨でこれを支払った。これは当時の日本の国家予算の2倍以上にあたる。日本にとっては非常にありがたいものだった。
この賠償金で日本は軍隊の強化をする。更に、八幡製鉄所など工場の整備や、悲願だった金本位体制への復活も遂げる。
ちなみに、日本はこの後の明治37年(1904年)に日露戦争を戦うのだが、この戦争に勝てたのは、この時に軍隊を強化できたのが大きい。まぁ、他にも勝因はあるが。
歴史に『もし』はないが、日露戦争に負けていれば日本は滅亡、今いる日本人の大部分は存在しなかっただろう。
「
当時の朝鮮半島には「
明治30年(1897年)、李氏朝鮮は滅び、そこに「大韓帝国」が建国する。朝鮮の独立である。朝鮮人は悲願の独立を果たせたが、それは日本が清に勝ったからである。
韓国や北朝鮮は反日教育をしている。歴史をみればわかるが、彼らは恩を仇で返す。興味がある方は調べてみてほしい。