素人が新聞記事書いてみた

新聞記事のつもりでブログを書いています。

【皇紀】2679年4月29日

今日は、極東国際軍事裁判A級戦犯に指名された28名が起訴された日だ。昭和21年(1946年)4月29日のことである。

 

極東国際軍事裁判とは、大東亜戦争で敗北した日本に対して、連合国が行った一審制の軍事裁判のことである。昭和21年(1946年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われ、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者らが裁かれた。「東京裁判」と呼ばれる場合の方が多い。

起訴された28名のうち、裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く、25名全員が有罪判決を受け、うち7名は死刑となった。

なお、裁判費用27億円は日本政府が負担した。

 

極東国際軍事裁判は日本の指導者らを、平和に対する罪(A級犯罪)、戦争犯罪(B級犯罪)、人道に対する罪(C級犯罪)で裁いたものである。

平和に対する罪とは、国際法を守らない形で戦争を引き起こす罪のことをいう。「A級戦犯」とはこの罪に問われれた者のことを言う。

戦争犯罪とは、戦時国際法に違反する罪のことである。軍事組織が守らなければいけない交戦法規違反を指す。

人道に対する罪とは、一般の国民に対する、大量殺人・虐待・追放などの非人道的行為や、政治的・人種的・宗教的理由による迫害行為を指す。

 

f:id:newspaper-ama:20190429084029j:plain

A級戦犯に指名された人物ら、巣鴨プリズンから護送バスで市ヶ谷台の法廷に向かう途中、出典:Wikipedia

 

極東国際軍事裁判東京裁判)の時系列は以下のとおりである。

 

昭和20年(1945年)8月8日、米国、英国、フランス、ソ連の4カ国が国際軍事裁判所憲章に調印する。新たに「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」が規定され、国際軍事裁判所の管轄する犯罪とされる。

8月14日、日本政府がポツダム宣言を受諾。第10項に「戦争犯罪人の処罰」明記。

9月2日、日本政府全権の重光葵しげみつ まもる大本営(日本軍)全権の梅津美治郎うめづ よしじろう及び連合各国代表が、降伏文書(休戦協定)に調印。

昭和21年(1946年)1月19日、極東国際軍事裁判所憲章(極東国際軍事裁判所条例)が発行される。

2月11日、マニラの米軍法廷で本間雅晴ほんま まさはるに死刑判決。同年4月3日に銃殺。

4月29日、GHQ直属の国際検察局が100名を越すA級戦犯容疑者リストから、28名を起訴し、名前を公表。この日は昭和天皇の誕生日である。

5月3日、極東国際軍事裁判が開廷。

昭和23年(1948年)3月2日~4月15日、最終弁論が行われる。

11月4日~11月12日、刑の宣告を含む判決の言い渡し。A級戦犯に指名された28名のうち、病死した2名と病気のため訴追免除された1名を除く、25人に有事判決。7人が絞首刑、16人が終身刑、2人が有期禁固刑。

12月23日、東条英機元総理ら7人の絞首刑が執行される。この日は今上陛下の誕生日である。

12月24日、岸信介元総理ら、起訴されなかったA級戦犯に指名された19名が釈放される。

 

f:id:newspaper-ama:20190429122320j:plain

ダグラス・マッカーサー、出典:Wikipedia

 

極東国際軍事裁判東京裁判)の事実上の主催者とも言えるダグラス・マッカーサーは、昭和26年(1951年)5月3日に開かれた米国上院軍事外交合同委員会において、以下のように証言している。

「原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって、戦争にむかった目的は、主として治安のためだったのです」

 

極東国際軍事裁判東京裁判)は、戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた茶番劇である。

この裁判の判決をもとにした歴史認識のことを「東京裁判史観」という。

東京裁判史観は反日思想の強い人ほど強い傾向がある。