今日は平事件(たいらじけん)が発生した日だ。
平事件とは、昭和24年(1949年)6月30日、日本共産党と在日朝鮮人連盟が指導する群衆約500人が、平市警察署を不法占拠した事件である。
平市(たいらし)とは、現在の福島県いわき市の中北部に、かつて存在した「市」である。平市警察署は現在の「いわき中央警察署」である。
平市警察署を不法占拠した群衆、出典:Wikipedia
昭和24年(1949年)4月13日、日本共産党福島県石城地区委員会は、平市警察に、掲示板を設置するため「道路使用許可」の申請を出した。平市警察(自治体警察)はこれを受理、同年7月20日まで道路使用を許可した。
ちなみに、当時の警察は自治体警察である。全国に約1600存在し、設置基準は人口5000人以上。警察が現在のように都道府県単位となったのは昭和29年(1954年)から。
しばらくすると、共産党が設置した掲示板には「人だかり」ができるようになり、交通の障害となってきた。
このため、平市警察は6月30日までの撤去を要求した。共産党は「移転先が見つかったら撤去する」と約束した。
しかし・・・
6月30日早朝、共産党員や在日本朝鮮人連盟の朝鮮人は、湯本町警察(現:いわき市)など平市警察の周辺の自治体警察に押しかけた。平市警察に応援を出さないことを確約させた後、平市警察署に向かった。
午後3時30分頃、彼らは平市警察署に押しかけた。その数は次第に増えていき、約500人が集まった。
集まった群衆は署内に乱入した。阻止しようとする署員に対しては殴る蹴るの暴力を加え、署の窓ガラスを次々と割っていった。そして、玄関に赤旗を立て完全に占拠。留置所にも侵入し、逮捕され留置された者を奪還。逆に、警察官を留置場に閉じ込めた。
警察署の外では、市内各所に検問所を設けて警戒も実施した。平市警察管内は、一時、無警察状態に陥った。
午後11時頃、近県より警察の応援部隊がやってくるという情報が入ると、彼らは恐れをなし解散した。
事件後、平市警察署には捜査本部が設けられた。231人が騒擾罪(そうじょうざい)の容疑で検挙され、うち159人が起訴された。
騒擾罪とは、多数の者が集まって暴行・脅迫を行い、ある地域の秩序・平和を乱す罪である。
一審では騒擾罪は不成立だったが、二審で成立。昭和35年(1960年)12月、最高裁が上告を棄却したため、105人の有罪が確定した。
金天海、出典:Wikipedia
日本共産党は大正11年(1922年)に設立され、すぐにコミンテルンに加盟した。
コミンテルンとは、昭和18年(1943年)まで存在した国際共産主義運動の指導組織である。暴力で各国政府を転覆させ、共産主義を実現させることを目的としていた。
当時の日本共産党は、皇室及び軍隊・警察の廃止を主張していた。更に、党員は様々な犯罪に関与していた。
このため、共産党は戦前、非合法だった。
在日朝鮮人連盟は日本共産党の伏兵として、戦後の混乱期、日本各地で暴行・略奪・窃盗・放火・官公署への不当な要求・建築物の不法占拠・人民裁判など、様々な犯罪を引き起こした。
最高顧問の金天海(きん てんかい)は、日本共産党中央委員だった。
在日本朝鮮人連盟は解体させたれた。その後継組織といえるのが在日本朝鮮人総聯合会、略称「朝鮮総連」である。
日本共産党と朝鮮総連は、公安調査庁の調査対象団体である。政治目的とする暴力的破壊活動をする危険性がある団体なのだ。
これらの事実を知らない日本人が多いのは危険なことである。