昭和28(1953年)2月1日、日本放送協会(NHK)が日本で初めてテレビ放送を開始した。
同年8月28日には、日本テレビが民放で初のテレビ放送を開始する。
当時の番組は、大相撲やプロレスなどのスポーツ中継と、記録映画が中心だった。
NHK開局時のテレビ普及台数は、東京都内で1,200~1,500台、受信契約数は866件。NHK受信料は月額200円だった。
国産第一号として発売された、シャープの14インチテレビ「TV3-14T」は17万5,000円だった。当時は白米10kgが680円、銭湯の入浴料が15円程度。
昭和28年に発売されたシャープの国産1号のテレビ「TV3-14T」、出典:天国への階段
テレビは爆発的に普及していく。
内閣府の消費動向調査によると、放送開始10年後の昭和38年(1963年)の普及率は88.7%である。
テレビは昭和39年(1964年)の東京オリンピックを機に、黄金期を迎える。
昭和38年(1963年)年末の『第14回NHK紅白歌合戦』では、歴代最高の番組平均世帯視聴率81.4%をたたき出す。
この頃の番組には、平均世帯視聴率が50%を超えるものが何本もあった。
日本人はテレビが大好きになった。
筆者は子供の頃からテレビが好きではなかった。アニメは見ていたが。
理由はわからなかったが、胡散臭さを感じていた。
それが確信に変わったのは、平成14年(2002年)の日韓ワールドカップの時だった。韓国は審判の買収やラフプレーでベスト4になったが、地上波はこの事実を全く報道しなかった。
テレビによる世論操作は、開局後まもない頃から行われていたと思われる。
一例をとると、NHKを中心に昭和30年代後半には、大日本帝国陸・海軍を悪玉とする番組が作られている。日本人に『軍隊や戦前の日本は悪』というイメージがすり込まれていった。
隆盛を誇っていたテレビだが、インターネットの普及により、その地位は徐々に低下していく。
その決定的ともいえる事件が『フジテレビ抗議デモ』である。平成23年(2011年)8月以降に何度か発生したデモで、同局の番組編成が「偏向」「韓流への偏重」であると批判するものである。デモには数1000人が集まった。
これを当時のマスコミはほとんど報道しなかった。
この頃から、真実を知る日本人が急激に増え始める。
今回の参議院議員通常選挙(令和元年7月21日実施)を機に、テレビは衰退の道を歩み始めかもしれない。
『NHKから国民を守る党』が議席を獲得した。同党はNHKのスクランブル放送実施をただ一つの公約としている。
自民党から出馬し当選した和田政宗氏は、電波オークションの実施を公約としている。地上波はテレビ局の新規参入が事実上できなくなっており、日本最大の既得権益である。
日本人とテレビの関係は恋愛に似ている。
日本人は長年テレビのことが好きで、信用してきた。好きな人のいうことは無条件で信用するものである。
しかし、テレビの正体はペテン師、若しくは、DV男のようなものだった。
日本人のテレビへの愛が終わろうとしている。