昭和64(1989)年1月7日のことであり、この日をもって昭和は終わりとなった。
昭和天皇は明治34(1901)年4月29日、大正天皇の第一皇子としてお生まれになられた。
大正10(1921)年に摂政(天皇の代理)に御就任。大正13(1924)年に良子女王(香淳皇后)と御結婚なされた。
そして、大正15(1926)年/昭和元年12月25日、父・大正天皇が崩御なされたため、第124代天皇として御即位になられた。元号は昭和となったが、即位日の元号は大正であると同時に昭和でもある。
昭和天皇は激動の時代を生きた君主である。
逸話は多々あるが、『マッカーサーとの会見』は多くの日本人に知ってもらいたい話である。
昭和20(1945)年9月27日午前10時、昭和天皇は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のトップであるマッカーサーが居住していた駐日米国大使館を初めて訪れた。
この時、日本は大東亜戦争に敗れ、 昭和天皇は処刑されるかもしれない状態だった。マッカーサーは命乞いにきたものだとばかり思っていた。
昭和天皇は以下のように述べた。
敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。
引用:侍従長の回想(著者:藤田尚徳)
マッカーサーはひどく驚いた。自らの命と引き換えに国民を救う君主など、今まで見たことがなかったからだ。
これを機にマッカーサーの態度は一変し、昭和天皇に敬意をもって接するようになった。
この話を聞いた時、筆者は日本人であることに誇りを感じた。
学校でも教えるべき話である。