今日は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件、通称「地下鉄サリン事件」が起きた日だ。
平成7(1995)年3月20日午前8時ごろ、東京都内の地下鉄5車両において、化学兵器としても使用される「サリン」が、ほぼ同時刻に散布された。
事件の死者数は14人、負傷者数は6300人弱。令和2年3月10日にも、サリンの後遺症により1人が亡くなった。
オウム真理教は昭和62(1987)年から平成12(2000)年まで、日本に存在した新興宗教団体。
麻原彰晃(あさはら しょうこう)こと松本智津夫(まつもと ちづお)を教祖および最高指導者として崇めていた。
地下鉄サリン事件を始め、松本サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害事件など、複数の無差別テロ事件・殺人事件を起こした。
出典:平成7年 警察白書
地下鉄サリン事件を首謀したのは教祖・麻原彰晃。総指揮は村井秀夫。現場調整役は井上嘉浩(いのうえ よしひろ)。
麻原が事件の決行を決断したのは、2日前の平成7(1995)年3月18日である。その日のうちに、村井が実行役ら(一部除く)を集め計画を説明した。
犯行に使用された神経ガス・サリンは、犯行前日の19日に遠藤誠一らにより製造された。純度は35%程度と低かった。
平成7(1995)年3月20日午前8時ごろ、東京都内の地下鉄3路線5車両で、サリンがほぼ同時刻に散布された。
右側の人物が実行犯である。
彼らはサリンをビニール袋に入れ、傘で付き散布。そして、すぐに現場から逃走した。
事件発生直後、現場は大混乱となった。
当時のマスコミはその様子を生放送した。被害にあい搬送される人も、そのまま放送された。
多くの被害者は路上に寝かされ、呼吸困難状態に陥っていた。サリンの影響を受けた被害者のうち、軽度の人は医療機関受診せず仕事に行った人が多い。これにより、症状を悪化させてしまった人もいる。
被害者の8割ほどは目に後遺症があるとされる。また、癌に罹患する者も一般の者に比べて多い傾向があり、事件後かなり経ってから癌で亡くなる被害者も少なくない。
重度な脳中枢神経障害を負った被害者の中には、未だに重度な後遺症・神経症に悩まされ、苦しめられている人も数多いる。
浅川幸子さんは地下鉄サリン事件の被害に遭い、寝たきりの状態となった。兄の一雄さんは長年、妹の介護を続けた。
事件25年を前にした令和2年3月10日、幸子さんはサリン中毒による低酸素脳症でお亡くなりになられた。
オウム真理教は平成12(2000)年に解散した。
しかし、ほぼ同時に、新たな宗教団体「アレフ」が設立され、教義や信者の一部が引き継がれた。アレフは後にアーレフを経てAlephに改称された。
宗教団体「Aleph」は今も存在している。宗教法人としては認可されていないが。
地下鉄サリン事件を忘れてはいけない。
そして、その後継と言える組織が今だに存在していることも。