今日はバビロン作戦(別名:オペラ作戦)が行われた日だ。
昭和56年(1981年)6月7日、イスラエル空軍機がイラク・タムーズの原子力施設を空爆した。
原子炉は全壊。11名が死亡した。
昭和56年(1981年)6月7日午後4時、イスラエル空軍機14機が、シナイ半島東部のエツィオン空軍基地から飛び立った。
部隊編成は、爆弾を2発ずつ搭載したF-16戦闘機8機と、護衛のF-15戦闘機6機。
部隊はヨルダンとサウジアラビアを領空を侵犯し、イラク領内に侵入。攻撃を受けることなく、原子力施設上空まで到達した。
イスラエルは、飛行経路を綿密に調査していた。
午後5時30分前、8機のF-16戦闘機から16発の爆弾が、原子炉めがけて投下された。うち、14発は命中、1発は隣接施設内に落下、1発は不発弾だった。
原子炉は全壊。まだ稼働前だった。
この攻撃により、イラク軍兵士10名とフランス人技術者1名が犠牲となった。
部隊はイラク軍の迎撃にあうことなく、同じ飛行往路で、全機が帰投した。
イスラエルは、連合国(国連)安保理武力制裁決議を経ず、イラクを攻撃した。このため、世界中から非難された。
イスラエルは周囲を敵性国家に囲まれている。外交を結んでいない国も多い。
だが、安易に譲歩することはしない。昭和23年(1948年)の建国以来、自国に脅威が及ぶと判断すると、躊躇なく軍事行動にでている。
青色がイスラエルと国交を結んでいる国、他は国交がない国、出典:Wikipedia
イスラエルには、「自国の安全は自分たちの力で守り抜く!」という気概がある。
日本にもこの覚悟があったら、韓国による日本人の抑留・殺害も、北朝鮮による日本人拉致事件も、支那による尖閣諸島侵略も...起きなかっただろう。
平和を叫ぶのはいい。
しかし、「あの国に手を出したら、手痛いしっぺ返しを食らう」という怖さが無ければ、国民を守ることはできない。
残念ながら、これが現実。