6月23日は慰霊の日だ。
沖縄県が制定している記念日である。
沖縄県は毎年、沖縄県営平和祈念公園(糸満市)にある「平和の礎(いしじ)」近くの広場で、沖縄全戦没者追悼式を開催している。
令和元年は安倍晋三総理や衆参両院議長、沖縄戦の遺族など5000人以上が参列した。
沖縄県営平和祈念公園(糸満市)にある「平和の礎」、出典:Wikipedia
大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)3月26日~6月23日、沖縄諸島において、米軍を主体とする連合国軍と日本軍の間で戦いがあった。
いわゆる「沖縄戦」である。
3月26日に慶良間列島に上陸した連合国軍は、4月1日に1500隻近い艦船と延べ約55万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始した。
連合国は当初、1カ月ほどで沖縄を占領できると見込んでいた。しかし、日本軍の奮闘と沖縄県民の献身的な協力により、3か月ほどかかり被害も甚大なものとなった。
沖縄戦の死者
(日本)
県外出身の死者・行方不明者 65,908人
沖縄県民の死者・行方不明者122,228人(内民間人死者 94,000人)(連合国)
米軍の死者 20,195人
英軍の死者 85人
日本側の死者は、県外出身者も多い。
海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施。海軍では2045人、陸軍では1022人が特攻により戦死した。
第32軍を指揮していた牛島満中将は自決した。
沖縄を守るため特攻をした「陸軍特別攻撃隊第72振武隊」のパイロット達、出典:Wikipedia
日本は沖縄を守るために多くの犠牲を払った。
これに脅威を感じた米国は「日本への無条件降伏」を要求するつもりだったものを、「日本軍隊の無条件降伏」に緩和した。
しかし、沖縄は捨て石になったとするマスコミや教科書がある。
情報元:戦後70年:「沖縄捨て石」 本土決戦の戦備、その悲惨な実態 - 毎日新聞
情報元:沖縄慰霊の日 2019 「捨て石」の構図いつまで|論説|佐賀新聞LiVE
このような英霊の顔に泥を塗るような行為を、筆者は許せない。