75年前の今日、広島に原子爆弾が投下されました。
かけがえのない多くの命が奪われ、街は焦土と化しました。
原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に、謹んで、哀悼の誠をささげます。
今なお被爆の後遺症で苦しんでおられる方々や、ご遺族の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
広島市への原子爆弾投下でできたキノコ雲、原典:NATIONAL ARCHIVES CATALOG
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍は広島市に原子爆弾を投下した。
40数秒後、原子爆弾は島病院(現:島内科医院、広島市中区大手町1-5-25)付近の上空約600メートルで、核分裂爆発を起こした。
この瞬間、強烈な熱線、放射線、衝撃派が発生した。
人類史上初の都市に対する核攻撃だった。
爆心地から約250メートル地点にあった広島瓦斯本社ビル、出典:Wikipedia
衝撃波の被害が最も大きかった。
倒壊した建物の下敷きになって圧死した人、吹き飛ばされて失神した人、負傷した人が相次いだ。
爆心地から500メートル地点で、1平方メートル当たり約11トンの圧力が発生したと推計される。
爆心地から半径2キロメートルまでの地域では、鉄筋コンクリート造の建物以外は、ほとんどが倒壊または半壊した。窓は全て吹き飛ばされ、内にいた人たちの体には無数のガラス片が突き刺さっていた。
爆心地の地表温度は、セ氏3,000~4,000度と推計。
約1.2キロメートル以内で、熱線の直射を受けた人は、体の内部組織に大きな障害を受け、そのほとんどが即死。または数日のうちに死亡した。
3キロメートル以上離れていても、火傷を負った人もいた。
放射線の影響も甚大。
人体の奥深くまで入り、細胞を破壊し、深刻な障害を引き起こした。
爆心地から1キロメートル地点でも、死に至る急性放射線障害を発症するほどの量に達していた。
放射線による障害は、数年後に、白血病やガンなどの症状となって現れる場合もある。
放射線による影響については、現在でも十分に解明されていない。
広島市への原子爆弾投下により、約8万人が即死。昭和20年(1945年)12月末までに、約1万4000人が死亡したとされる(この数より多いとの見解あり)。
爆心地から500メートル以内では90%超、500メートルから1キロメートル以内では60~70%が、即死または即日死した。
私たちがやるべきことは何か?
このような悲劇を二度と繰り返さないことだと筆者は思う。
当時、日本が原子爆弾を実用化していたら、米国は日本に原子爆弾を落としただろうか?
この事を真剣に考えるべきである。