今日は成都事件が起きた日だ。
昭和11年(1936年)8月24日、四川省成都で、支那人暴徒により日本人4名が殺傷された排日事件である。
殺害されたのは、大阪毎日新聞「渡辺洸三郎」記者と、上海毎日新聞「深川経二」記者の2名。
両名の遺体は路上に捨てられていた。
全裸にされ、顔は潰され、全身血まみれで、体はゴム風船のように膨張し変色していた。
左:上海毎日新聞「深川経二」記者の遺体、右:大阪毎日新聞「渡辺洸三郎」記者の遺体、出典:Wikimedia Commons
満州事変後、日本の外務省は閉館中の成都総領事館を再開しようと、岩井総領事代理を派遣した。
しかし、国民政府(支那国民党による政府)は日本の既得権益を無視し、開館絶対反対を表明。民衆運動によって阻止しようとした。
昭和11年(1936年)8月初旬以降、四川省(特に成都)では、排日の風潮が高まった。
このため、岩井代理は重慶に足止めされ、成都入りできなくなってしまった。
成都事件の被害者4名は、岩井代理と同行していた。
彼らの目的は単なる視察だったため、8月21日に重慶を出発し成都に向かった。
そして24日、宿舎「大川旅館」で暴徒に襲撃された。2名は何とか逃げ延びたが、2名は無残な姿で発見された。
平成24年(2012年)9月10日、日本政府は尖閣諸島の国有化を閣議決定した。翌11日、魚釣島、北小島、南小島の3島を購入し、日本国への所有権移転登記を行った。
すると、支那各地で反日デモが発生した。日本車は破壊され、日の丸は焼かれ、日系企業は襲撃を受けた。
27日には、北京で丹羽宇一郎駐中国大使(当時)の公用車が襲われ、国旗を奪われた。
これは官製デモだった。支那が「日本の尖閣国有化を、国民は反対している」と強弁するための演出だ。
このデモを見たとき、筆者は「成都事件のようなことが起きるかも」と直感した。幸い、この予感は外れたが。
この時、筆者は周囲の人に成都事件の話をした。ほとんどの人は「そんな虐殺なんて起きる訳がない」といい、笑っていた。
支那大陸や朝鮮半島では今まで、日本人虐殺事件が何回も起きている。この事実は日本人なら知っておくべきである。
通州事件のときも、日本人は安心していた。
神経質になり過ぎだろか...