今日は、G5でドル高是正のためのプラザ合意が成立した日だ。
ドル円レートは1ドル235円ほどだったが、合意後24時間で約20円下落した。1年後には、1ドル150円台まで円高が進行した。
【用語解説】
G5:先進5か国財務大臣・中央銀行総裁会議。参加国は日本・米国・英国・西ドイツ・フランス。現在のG7の前身。
プラザ合意:昭和60年(1985年)9月22日、ニューヨーク市のプラザホテルで開かれた、G5での合意事項の通称。
当時、米国は莫大な貿易赤字(経常赤字)と財政赤字、いわゆる「双子の赤字」で苦しんでいた。
プラザ合意の目的は、ドル安により米国の貿易赤字を減らすことだった。
具体的な内容は、ドルに対して参加各国の通貨を10~12%ほどの幅で切り上げるために、参加各国が外国為替市場で協調介入をおこなうというもの。
プラザ合意は市場に大きな衝撃を与え、ドル安が進み過ぎてしまった。
昭和62年(1987年)2月、ドル安に歯止めをかける「ルーブル合意」が成立し、何とか落ち着いた。
プラザ合意による「ドル円レート」の変動、出典:連邦準備制度理事会
日本では、この急激な円高が進行したことで輸出が減少。国内景気は低迷した。
政府は内需拡大による経済成長を目指し、国内需要の充実や公共投資の拡大など積極的な財政政策をとった。
日銀は不況に対する懸念から、公定歩合の引き下げを行い、金融緩和を実施した。
企業は今までの輸出主導から投資主導に切り替えるなどし、円高に対応。そのメリットを享受するようになっていった。
これらの努力により、日本の景気は回復に転じた。
しかし、昭和61年(1986年)末頃から、余った資金が不動産・株式などに向かい、これらの資産価格が高騰。いわゆる「バブル景気」が起こった。
バブル崩壊後、日本経済は「失われた20年」と呼ばれる長期低迷の時代に入る。そして、日本が持っていた強力な経済力は失われた。
日本の経済弱体化が「プラザ合意」によるものか否かは、個々に見解がわかれる。
筆者は、幾つかある原因の一つだとは思う。
ただ、確実に言えることは「米国は自分勝手な国」ということだ。